その他の話題を語る道(ニ)

1月20日 標的
★作品に関して重大なネタバレがあります。★

パトリシア・コーンウェル「検屍官」シリーズ第22作目「標的」を読みました。
最近はこのシリーズも惰性で読んでいたようなところがありましたが、今回は文句なしにおもしろかったです。
と言ってもミステリーとしてどうとか、そういうことではないのですが・・・。
ファンには有名な話ですが、コーンウェルにはリセット癖とでも言うべきものがあります。
主人公のケイ・スカーペッタを若返らせたり、ケイの一人称から三人称に変えてみたり。
現在はまたケイの一人称に戻っていますが、この方が主人公に共感しやすいという意味では効果的。

それより何より今回の大きな変化はマリーノとの関係修復。
マリーノはケイの相棒ともいうべき人物ですが、良くも悪くも非常に厄介な存在です。

最初は女性の身でバージニア州検屍局長に就任したケイに露骨な敵意を見せる。
やがてその真摯な姿勢にケイを見直し、最高の相棒となって行く。
だんだんケイに恋するようになり、その葛藤と、ケイの恋人ベントンへの嫉妬で揺れて行く。
遂に欲望を抑えきれずにケイを襲うが、なんとか未遂に終わる。

ケイはマリーノを許そうとするが許せず、マリーノも後悔や自己嫌悪やそれでも抑えられない想いに 囚われ、2人の関係はぎくしゃくしながら離れられない。

こんな状態が続いています。
なので新作を読むたびに「冒頭ぎくしゃく→事件の最中は団結して協力→終わって仲直り?→また次の作品冒頭でぎくしゃく」のループでした。
今回はそれがない、まるで2人の関係もリセットされたみたいです。
初期のマリーノがケイを「仕事のできる女」として認めた頃に戻ったようです。

ケンブリッジ市警に引き抜かれてケイの元を離れたマリーノですが、忙しいケイを車に乗せて連れ回します(もちろん事件絡みです)。
ケイも文句言いつつも嫌そうではありません。
マリーノのいない部屋をのぞき込んで寂しがったりもします。
マリーノはケイのいないところでケイの自慢話をしているようです。

車の中でマリーノのサングラスをサングラスを拭いてあげたり煙草について皮肉を飛ばしたり。
まさに昔の2人です。
嬉しいなあ。

確かにこれまで信じていた人に裏切られて四面楚歌に陥るおもしろさを持った小説もあります。
でもこのロングシリーズの中で、ただでさえ昔の部下、昔の友達、昔の恋人に裏切られたり狙われたりが多い検屍官シリーズです。
レギュラー陣の中でもいつまでもぐちゃぐちゃしていたら、小説としてのおもしろさが消えてしまいます。
最近は上巻の半分使って心の葛藤描写があったりしてたから。
ただでさえ心理描写に、それもマイナスの心理描写にページを使う作品なので。

あまりに嬉しくて、肝心の事件を忘れてしまいそう、と言いたいところですが、ここでまた講談社さんがやらかしてくれました。
下巻の帯見たら、わかってしまうじゃないですか。
壮大なネタバレです。
しかも死んだはずの人が生き返る、以前にもコーンウェルがやっちゃった方法なので、シリーズ通して読んでればすぐに気づくはず。
前にある重要人物が殺された、なんて帯に書いて大ひんしゅくを買ったのに、まだ懲りないのでしょうか。
薄い本の上下巻、高い値段、それでも買ってる読者から、新作を読む楽しみまで奪わないでほしいです。

ベントンとうまくいってるケイですが、そうなると逆に影が薄くなる定めのベントン。
ケイの恋人タイプは脇役に比べて、印象薄いのは仕方ないですね。
ルーシーだけが相変わらずとんがっていましたが、私は最近のルーシーにどうしても共感できないので、それもまた寂しいです。
今度こそうまくいって新作では、最初から一致団結して新たな敵に向かってほしいです。

今回の犯人、またもや生き延びたので次回も引っ張りそうですね。
悪役としてインパクトのある人物なので楽しみです。
(2016年1月20日の日記)
12月9日 「幽」vol.23「幽霊画大全」
「幽」という雑誌、興味は大ありなんですが、小野不由美さんや京極夏彦さんの連載は後でまとめて 本になってから読みたいことと、図書館で扱っていないので読んでいません。
でも今回は幽霊画特集という事で買ってしまいました。

小野さん、京極さん以外にも綾辻行人さん、有栖川有栖さん、小池壮彦さん、加門七海さん他錚々たる執筆陣。
読まないぞ、絶対読まないぞ、「虚談」も「営繕かるかや怪異譚」も読まないぞ。

さて表紙がちょっとおもしろい。
全生庵所蔵の勝文斎「母子幽霊図」なのですが、円山応挙や鰭崎英朋や伊藤晴雨などの有名どころを抑えて この絵を選んだ意図は何でしょう?
赤子を抱いた姑獲鳥っぽい絵ではありますが、怖いというよりちょっとユニークな表情で目を引く物であることは確かですが。

嬉しかったのが、前にも紹介した「圓朝追福七怪奇」の絵葉書きがこちらにもカラーで掲載されていること。
もしかしたら図録より見やすいかもしれない。

最初の対談は、全生庵の幽霊画の解説を手がけた安村敏信さん、全生庵のご住職平井正修さん、「円朝全集」の校注者である 横山泰子さん。
しかも司会は東雅夫さん。
東さん、こんなに全生庵に近しいなら小さんの晴雨画も是非特集組んでください。

横山さんとは一度お話したことがあります。
並んで見てて、なんとなくお話ししたのだったか。
伊藤晴雨の「怪談乳房榎図」の話になりました。

今回並んだ3人の後にこの画が掛けられていたので、横山さんのリクエストかと思ったら安村さんらしい。
人気あるんだな、この絵。
ちなみに海外の観光客に一番人気があるのもこの絵だそうです。
恨めしい系よりも、怖さの迫力の方がわかりやすいのかも。

話題になったのは、圓朝コレクションが全生庵に寄贈された由来、子供の頃から幽霊画に囲まれていた平井さんの思い出話。
今でも時折幽霊が供養を依頼されることはあるそうです。
趣味で幽霊画を持っていた人が亡くなって、遺族は燃やすと祟りがあるんじゃないかとか、売ろうとしても売れないとか。
困ってお寺に持ち込むのだとか。
その気持ちはわかるなあ。

圓朝という人は、怪談における大きな転換期を生きた人で、怪談が興味を持たれていた時代、そして文明開化で怪談が時代遅れと 感じられるようになった時代。
その中であえて怪談にこだわり続けたのが圓朝であって、それは怪談に「人の怨念の怖さ」を写し取っていたからなのでしょうか。

次に「妖怪ウォッチ」の話になって(笑)、安村さんと横山さんは絶賛していました。
日本の妖怪の本質を衝いている作品なのだとか。
私は見た事がないので知りませんが、そうなのか。

最後に、圓朝という人は、幸福で円満な一生を送った人ではないようです。
だからこそ人間の心の昏い襞を、どこまで落語という芸の中で表現できるか追及していたのかもしれないと平井さんがまとめていました。

他にも幽霊画に関するエッセイや資料が盛りだくさん。
あと東さんが、北陸を回ってお寺の幽霊画を検証していましたが、こういったなかなか見ることのできない幽霊画も特集して欲しいです。
できれば展示もして欲しい。

小野さんと京極さんの連載は薄目で飛ばして(笑)、やっぱり「幽」はおもしろいなあというのが感想でした。
年2回の発行だし、これから買おうかなあ。
でも買っておいて小野さんと京極さん読まないのは辛いしなあ・・・。

最後に小野さん、京極さん。
十二国記シリーズと京極堂シリーズ以外の作品が絶好調なようで、両シリーズのファンとしては複雑な気持ちです・・・。
(2015年12月9日の日記)
9月18日 全生庵柳家小さん寄贈伊藤晴雨掛軸覚書
今年は全生庵の幽霊画を東京芸大美術館でも公開するとのことで、全生庵で展示する幽霊画が足りなくなり、 特別展示として柳家小さん寄贈の伊藤晴雨の掛軸が14幅公開されました。
東雅夫著「江戸東京怪談文学散歩」で読んだことはありましたが、実際に見ることができるとは夢にも 思ってませんでした。

東さんによると、もともとは別に所有者がいて、人を介して小さん師匠に寄贈されたため、詳しい来歴は不明らしいです。
全20幅の掛け軸のうち、1幅が盗まれるという被害に会い、現存している19幅、そのうち14幅が公開されたわけです。
もちろん写真撮影禁止だし、今後見る機会があるかどうかもわからないので、覚書をまとめておきたいと思います。

1、牡丹燈籠のお露とお米

・圓朝コレクションにも尾形月耕の牡丹燈籠の幽霊画がありますが、それと同じような感じです。
ただおもしろいことに、お米が牡丹の花、お露が燈籠ではなく団扇を持っています。
後述しますが、13の掛け軸と関係あるのかな?

2、井戸から出て泣くお菊?

・印象が強くない絵で、どんな絵だったか忘れてしまいました。

3、座棺の蓋に黒猫が載っていて、中から亡者が覗いている。

・座棺の縁から目だけを覗かせている亡者が気持ち悪いけれど妙な愛嬌もありました。

4、大きな蝦蟇をバックに立つ女性。

・あくまでも個人の意見ですが、滝夜叉姫かな?と思いました。

5、鬼の面をつけた姫。

・「陰陽師」の生成り姫を思い出しました。
鬼の面をつけて扇を手に舞っているように見えます。
4のお姫様と同じような衣装、構図でした。

6、猪熊入道

・こちらは掛軸に「猪熊入道」と書いてありました。
酒呑童子の配下で、鎧の片袖を咥えた有名な絵そのものです。

7、蘇った死人?

・これはとても恐ろしく哀しい絵でした。
恐らく首を絞めて殺され、菰に包まれて捨てられたのでしょうか。
その姿のまま水中から身を乗り出して杭に掴まっています。

丸い目が恨めしくも怒りもなく、ただひたすらこちらを見ているのが 愛嬌を湛えているような、でも直視するには怖いような哀れなような、 そんな絵でした。

8、地獄の釜の蓋が開いて

・蓋の開いた地獄の釜をバックに、ナスやキュウリの馬に乗った精霊様。
これから帰るところなのでしょうか、本当に嬉しそう。
満面の笑顔がとても可愛い。
この絵が一番好きでした。

9、空から位牌を持って降りて来る。

・こうメモしてますが、どんな絵だったか思い出せず、残念。

10、海坊主?

・こうメモしてますが、やはり思い出せず。

11、東さんいわく「お岩様の盥」

・盥から骨と皮ばかりに痩せ細った異様に長い腕、櫛を持った腕が伸びています。
正直東さんの本を読んでいなかったら、「四谷怪談」をモチーフにした絵と気付かなかったかと 思います。

12、赤子を抱いた女性を抱えた天使?

・姑獲鳥を抱いた天使に見えるのは、白い羽がついているから。

13、牡丹燈籠

・掛け軸の縦長な面に沿って、縦に長く牡丹灯籠が描かれています。
その一角に恨めしそうな女性の横顔らしき絵が。
1と同時に描いたかどうかはわかりませんが、1に燈籠をあえて描かず、 こちらに燈籠のみ描いたところが何か意図を感じます。

14、生首を咥えた狼

・そのまんまの絵です。

ちなみに東さんは印象に残った絵として1,11,3,8をあげています。
実は東さんは、もう1枚「累の草刈り鎌」をあげていますが、残念ながら展示されなかった5幅の中に 含まれていたようです。

ご住職に「累の草刈り鎌は見られないんですね。」と聞いたら、「ありますよ!」とつかつかと 展示室に入って行って「あれっ?」。
展示したと思っていたんですね、ご住職・・・。

全生庵に行ったのがだいぶ前で、その後ちょっとですが、いろんなことが続いてまとめるのが遅くなり、 記憶がうやむやになってしまいました。
下手でもいいからスケッチしておけば良かったな・・・。

でもまたいつか、何らかの機会に小さんコレクションの伊藤晴雨画を19幅全て見られますように。
圓朝コレクションほど有名ではないので、資料も本も出てないし、ネットで検索しても出て来ません。
伊藤晴雨という人の作品自体が非常に探しにくいジャンルでもあるので、なかなか入り込めず。
ご住職にもくれぐれもお願いして帰途につきました。
(2015年9月18日の日記)
9月17日うらめしや〜冥途のみやげ展 2
東京藝術大学美術館で開催された「うらめしや〜冥途のみやげ展」に行って来ました。
2回見ればいいかなあと思っていたのですが、ポスターや図録の表紙に使われている上村松園「焔」が9月に展示されるという事で、 結局3回見に行きました。

全生庵の圓朝コレクションの中では、円山応挙「幽霊図」と鰭崎英朋「蚊帳の前の幽霊」が入れ替えなしでずっと展示されていました。
この2幅が一番人気あるんでしょうね。
一番目立つ場所に並んで展示されていました。

それ以外では「月岡芳年祭り」と言いたくなるほど芳年の作品が多かったです。
私は芳年の絵では、「うぶめ」や「宿場女郎図」のような写実的な絵が好きなんですが、錦絵や無惨絵を見ても、どことなく色気を感じさせる絵です。
その中で一番惹かれたのは「月百婆 卒塔婆の月」。

かつて美貌を誇った小野小町のなれの果て。
破れ笠を負い、手には杖、皺だらけの顔に白髪。
朽ちた卒塔婆に腰を下ろして月を見上げる哀しげな眼差し。

図録によると、老婆はとおりすがった僧と語らううち、深草少将の霊にとりつかれて狂うのだそうです。
その前の姿の小町、でもなぜか老婆の小町は美しく見えます。
老いた小町を描くこと、それはとても残酷な仕打ちに思えますが、なのに美しい。
これが芳年の凄さなのかなあと思います。

芳年には若く美しい小町の精霊を描いた絵もあって、両方見ていると、おそらく男性にはわからない女性としての 複雑な想いに囚われてしまいます。
いえ美しさなんて比べるべくもないんですけどね?
比べるつもりも皆無なんですけどね?
若さと老い、誰もが迎えるその時、すでに迎えつつあるその時への恐れでしょうか。

今回どうしても図録が欲しかったのですが、それには理由があります。
圓朝の幽霊画は現在50幅しか残っていませんが、かつてはもっとありました。
失われた幽霊画のうち、今回絵葉書の形で残っている幽霊画があるのです(図録29ページ)。

・鏑木清方「幽霊図」
・久保田米僊「幽霊図」
・石井滴水「幽霊図」
・狩野素川「幽霊図」

特に鏑木清方の幽霊図は、鏑木清方の作品の中でも、さらに幽霊画の中でも傑作と言われる一品だそうです。
ただ辻惟雄さんは、この幽霊が丸いお皿のような物を持っているので、お菊さんではないかと書いてますが、 高茶台に載せた茶飲み茶碗に見えます。

あと前にも書きましたが、鰭崎英朋や菊池容斎の「蚊帳の前」の幽霊、どう見ても「蚊帳の中」にいるように 見えるのですが、こちらも特に説明なしでした。

辻惟雄監修「幽霊名画集」にも掲載されていますが、できればこの絵葉書きを復刻版で出して欲しかったなあ。
ちなみに図録では全生庵の幽霊画の解説が載っていますが、他の方が書いていて、辻版より真面目でコンパクトです。
(字数制限が厳しいのでしょう)
辻版の方が洒脱な感じでおもしろいので、是非全生庵で見ることをお勧めします。
(2015年9月17日の日記)
9月16日全生庵でサプライズ
今年も全生庵に幽霊画を見に行って来ました。
全生庵所蔵の圓朝幽霊画は50幅。
毎年半分ずつ展示されるので、2,3年通えばほぼ全部見たことになりますが、ここの幽霊画は特別です。
見に行くというより会いに行くという感じ。

冷房がキンキンに効いた冷え冷えの狭い部屋、靴を脱いで上がると柔らかい板の感触が心地よい。
しかも歩いているときしんでキッキッと音がするので雰囲気は最高です。
そして目の前の幽霊画は、美術館で見るよりずっと間近で親しみやすい?
もちろん怖さ、哀しさ、恨めしさもちゃんと伝わってきます。

円山応挙など有名な絵は毎年飾られますが、2年続けて飾られない可哀そうな絵もあって、久々に見ると、 「ああ、また会えたね。」そんな気持ちになります。
でも今年はちょうど東京芸術大学美術館で「うらめしや〜 冥途のみやげ展」に貸し出しているので、美術館と 全生庵と両方行くと、全ての幽霊画を見ることができます。

しかも前半と後半で入れ替えもあるので、私はどちらも2回ずつ行きました。
でも圓朝幽霊画を見るなら全生庵がお勧めです。
前にも書きましたが、美術館だとよそよそしく取り澄ました感じ、全生庵は親しみやすいです。
雰囲気が全然違います。

しかも美術館では全生庵にある解説がないのです。
雰囲気を楽しむなら解説はいらないと思うかもしれませんが、この解説はとてもわかりやすくおもしろく、 描かれた時の裏話なども書かれているのでとても参考になります。
実際美術館でも他の絵には解説がついていたのが不可解です。

さて今年の全生庵のサプライズ!
なんとこれまで見たことのない絵が飾られていたのです。
「晴雨」と落款が押された幽霊画。
晴雨といえば伊藤晴雨。

非常に特殊なジャンルの絵を描く画家として有名ですが、全生庵にも「怪談乳房榎図」という凄まじい幽霊画があります。
その晴雨の絵を見ていて思い出したのが、何年か前に読んだ東雅夫著「江戸東京怪談文学散歩」。
東さんがある時全生庵で特別展示された柳屋小さんから寄贈された晴雨の掛け軸を見たという記述があるのです。
見てみたいなあと思いつつ忘れていた記憶が一気に蘇りました。

たしかに渾身の大作「怪談乳房榎図」に比べて「俳画風の洒脱な描きぶりのうちに巧まざる鬼気が漂う趣」です。
さらっと描かれてますが、ぞっとする怖さや妙なおかしみがあります。
私が特に気に入ったのは、黒猫と座棺から顔を覗かせている亡者、地獄の釜の蓋があいててその前にキュウリとナスに乗ったお精霊様です。

本来なら圓朝のためのイベントなのだから、小さん寄贈の絵を飾るわけにはいかないのですが、今年は美術館に貸し出して、足りなくなったため、 特別に展示したとのこと。
これは本当に嬉しいサプライズでした。
残念ながら、全生庵の幽霊画画集にも掲載されていないので、またいつか見られる機会はあるのか、本当にもったいないです。

圓朝祭りとは別にこちらも毎年展示してくださいとお願いして来ました。
某有名アニメスタジオのSさんも見に来て、「晴雨にこんな絵があるとは!」と驚いていたそうです。
見られるうちに何度でも見に行きたい世界でした。

あとひとつ気になるのが、前にも書いた3年前に飾られた書のみの掛け軸。
あまりに達筆で読めませんでしたが、「池、月、柳」「梳、風」「糊塚墓累々石戦」「荊棘」「宿山」などの言葉と最後の「落語家圓朝丈人」。
あの掛軸を入れると51幅になりそうなのですが・・・。

★全生庵
東京都台東区谷中5-4-7
(2015年9月16日の日記)
8月24日うらめしや〜冥途のみやげ展 1
東京藝術大学美術館で開催中の「 うらめしや〜冥途のみやげ展」に行って来ました。
私が毎年観に行く谷中の全生庵幽霊画、三遊亭圓朝所蔵の幽霊画が一番の見どころでしょうか。
もうひとつは「錦絵によるうらみの系譜」と題されたコレクションです。

全生庵には圓朝が集めたとされる(実際はそうではない物もあるのですが、 詳しくは「こちら」で)幽霊画が50点あって、毎年8月に半数25点を公開しています。
今年は半数ずつ8月16日を境に前半後半に分けて、半数ずつ美術館に展示するようです。

16日前と18日過ぎに見に行けば、全ての作品を網羅できることですね。
例外は有名な円山応挙の幽霊画、初の足のない幽霊、美しい幽霊として有名なあの絵ですね、 だけは圓朝コレクションの顔として、ずっと展示されるようです。

前半は月岡芳年「宿場女郎図」と鰭崎英明「蚊帳の前の幽霊」を堪能して来ました。
あと全生庵では筆者が「〇〇と思われる」と解説している物は全て「筆者不詳」になっていますね。
美術館だけに曖昧な伝聞は許されなかったのでしょうか。

ただ全生庵の狭くて薄暗い、エアコンが効いて鳥肌立つような寒さの中で身近に見る幽霊画と違って、 こちらはなんかよそよそしい(笑)。
いつもはあんなに親しみやすい幽霊たちが、ここではよそ行きの顔して取り澄ましている感じ。
できることなら圓朝コレクションは全生庵で見て欲しいです。

一方有名なお岩さんや崇徳上皇の絵は好きですが、私は錦絵自体はそれほど関心持てませんでした。
デフォルメされた世界よりも、やはり生々しい実写的な世界に慣れてるせいだと思います。
錦絵は怖いのにむしろ愛嬌があっておもしろかったです。

「冥土」という字はよく見ますが、「冥途」はちょっと珍しい。
何となく「冥土」はあの世で、「冥途」は「冥土に行く途中、道」かと思っていましたが 辞書で見たらどちらも「あの世」で一緒でした。

もうひとつ気になったのが、「皿屋敷(番町皿屋敷のお菊さん)」と「雨中幽霊図」を描いたのが、 それぞれ「綾岡有真」、「綾岡輝松」となっていますが、同一人物です。
しかも全生庵では「池田綾岡」で統一されていて、もちろん同じ人です。
年代によって号を変えた人らしく、美術館では絵が描かれた年代と、筆者が名乗っていた時期を 照らし合わせたのでしょう、お疲れ様です。

全生庵以外で一番嬉しかったのが、月岡芳年の「幽霊之図うぶめ」を見れたこと。
京極夏彦著「書楼弔堂 破暁」の表紙になっていた哀しくも美しい絵です。
有名ですが、生で見る機会は滅多にないので、しっかり見て来ました。

グッズ売り場では幽霊画のファイルやポストカードが売ってました。
さすがに怖さも何にもなかったです(笑)。
(2015年8月24日の日記)
6月24日鹿の王
上橋菜穂子さんの小説は、それがどんな辛い結末でも、清々しい読後感がある。
もちろん登場人物は迷ったり悩んだりするし、悪人も出て来るのだが、作者にブレがないからだろうとずっと思っていた。
ただ今回の「鹿の王」はこれまでとはちょっと違うかな?と思った。

例によって読む前はなるべく情報を知らないように心がけていたので(最近のメディアの宣伝過多は好まない。
ひどい時は読む前から飽和状態になる。)、知っていたのは「医」の分野に関わるファンタジーという事だけ。
鹿と医術?動物のお医者さん?などとちょっとふざけた先入観はあった(笑)。

読み終えて最初に思ったのは、これは児童文学なのか?ということ。
上橋さんは肩書が「児童文学作家」だが、別に「鹿の王」が児童をメインの対象にした児童文学じゃなくてもそれは構わない。
ただ、今回も児童文学のつもりで書いたのなら、ずいぶんややこしい内容を上下巻とはいえ一作品にまとめたなと思った。

守り人シリーズも奏者シリーズも、初めて読んだ時、「これ本当に子供向き?」と驚いたほど生きることの厳しさや時には惨さが これでもかと思うほど描写されていた。
それでも同時に生きることの大切さ、素晴らしさもきっちり描かれており、あらすじは厳しくてもわかり難い作品ではなかった。
メインとなる登場人物が複数でも、シリーズ化によってきっちりと描き分けられ、子供でも読みやすかったのではないかと思う。

「鹿の王」もできることならシリーズにして欲しかったと思う。
「鹿(闘の部分か)」を司るヴァンと、「医」の部分を司るホッサル。
2人の生き様があまりにも魅力的でおもしろいのに、どこか詰め込み過ぎ感が否めない。
シリーズにしてもっとじっくりゆっくり読んで行きたかった。

最後も余韻を残すというより、中途半端な気がしたのは私の勘違いだろうか。
続編が出てくれたらむしろ嬉しいのだが。

ちょっと残念だったのは、最初ヴァンが山犬に噛まれても発病せず、しかも山犬と意思の疎通ができたっぽいところ、そこにファンタジー要素を 見出して喜んでいたのだが、ちゃんと医学的な理由があったこと(笑)。
まあ上橋さんがそんなおかしな?ファンタジーにするわけないか。

もうひとつ、ヴァンが救ってその後行動を共にする幼い女の子ユナ。
舌足らずなところがあり、医療が関係する物語だけに、手塚治虫著「ブラックジャック」を思い出して微笑ましかった。
(2015年6月24日の日記)
6月28日 アニメ「夏目友人帳」
「夏目友人帳」、コミックは全巻揃えていますが、アニメはスカパーでちょこちょこ録画して見る程度でした。
でも先日一挙放送したのを録画して、全て見終えました。
これもまた、原作ファンも満足できる、数少ない素晴らしい作品だと思いました。

無茶をせず丁寧、音楽もいいし声優陣もいい。
時々「蟲師」を思い出しましたが、あちらがより落ち着いていて、こっちは明るい感じかな?

神谷浩史さん、私の中ではゲーム「戦国無双」シリーズの浅井長政のイメージが強いです。
長政も純真で心優しく、真っすぐな気性の持ち主。
ただ長政の場合、そこに「脳内が時々お花畑」という、まあ遊んだ人にしかわからない不思議なおもしろさが あるのですが、夏目貴志もまた、純真で心優しく、真っすぐな気性+緑川さん言うところの「どん臭さ」が見事に 出ていてはまり役。

井上和彦さんの斑・ニャンコ先生は今更解説の必要のない素晴らしさだし、他には柊の雪野五月さんがいい。
雪野さん、現在は「ゆきのさつき」なのだけど、Wikipediaによると、「夏目友人帳」放映当時は「雪野五月」だったようです。

ただ唯一残念なのが笹田純の扱い。
私は彼女がとても好きなのですが、彼女はげんさくでは「旧校舎の怪」で時雨に会った後、何も言わずに転校して行きます。
ここがかっこいいと思ったのですよ。
おそらく時雨の存在を感じ、言葉を聞き、でも何も言わずに去って行く。

アニメでは多軌透以外にレギュラークラスの少女キャラ(クラスメート)がいないということで残されたんだと思います。
それはいいのですが、なんというか空気を読めないおせっかいな女の子になってしまったのが残念。

後、これはアニメに限らずなのですが不思議なことが二つ。
ニャンコ先生などが片目をつぶっていることが多いですね(ウィンクという意味ではない、笑)。
まあこれはそれでいいとして、夏目が大人に頭を撫でられることが多い、これが不思議。

名取などはともかくとして、会ったばかりの男性でも気軽に(優しく)夏目の頭を撫でる。
私はこれが不思議でならなかったのですよ。
仮にも高校生、知らなくてもまあそれなりの少年です。
子供でも小学生でもない。

実際に慰めようとして、あるいは励ますために頭を撫でたりするだろうかと激しく悩みました(笑)。
でも夏目の世界では全然違和感ない、というよりそれが緑川さんの考えるところの優しさの表現なんでしょうね。
そして過去に傷のある夏目には、そうして優しく触れられることが、言葉同様に大きな慰めとなるのでしょう。
そう描かれているのでしょう。

露神さん、黒ニャンコを始め、好きなエピソードはたくさんありますが、一番好きなのは15巻の「塔子と滋」です。
アニメを離れますが、塔子に限らず滋も、そして西村など夏目の特殊な力を知らない友だちも、夏目の特異性について うっすらと何かを気づくようなエピソードがありますね。

ここでは塔子が自分には見えない白い鳥を、夏目が見ていることに困惑します。
でも何も言わない、ここが好きです。
「えっ?何も見えないわよ?」なんて言ったら、夏目は「またやっちゃった・・・。」とたちまち自分の中に引きこもっちゃうでしょう。
そして「塔子さんは俺のこと、変な奴だと思わなかったろうか。」なんて悶々とするでしょう。

もしかしたら心を開いて話しかけることすらしなくなるかもしれません。
初期の夏目に戻ってしまう危うさすら感じます。
そこまで塔子が感じていたとは思えませんが、塔子は夏目の言葉を素直に受け入れます。
ここ、何度読んでも泣きそうになります。

さらにこの会話を黙って聞いているニャンコ先生がいます。
もちろん塔子の前では喋りませんが、この後も夏目に何も言わなかったでしょう。
夏目の全てを受け入れ、優しく包んでくれるもう1人の「母」です。
ニャンコ先生の塔子に対する信頼もまた増したでしょう。

夏目が塔子たちに対して妖の存在を必死で隠そうとする場面が多々ありますが、確かに(多軌が言ってたように)、夏目の 力を知ったら大変なことになるでしょう。
夏目がちょっとした怪我をしても遅刻しても笑って済ませる(何も知らない)クラスメートも、ちょっとしたことで顔色が変わるほど 心配するかもしれません。

世話焼きで心配性の塔子だったらどうでしょう。
夏目の葛藤が手に取るように浮かんできますね。
「夏目友人帳」の見事なところはそこにあると思います。

夏目に近しい人たちが全く知らないわけではない、全てを知ってるわけでもない。
薄々夏目の特殊性を感じていながら、夏目にそれを気づかせることなく受け入れている。
だから夏目は落ち着いていられるのだと思います。

今後話がどう動いていくかはわかりませんが、おそらく塔子たちが夏目の力を知ることはないような気がします。
そういえばアニメも第5期が決定しましたね。
今度はリアルタイムで見ようかな。
(2016年6月28日の日記)
8月9日 「仁-JIN-」
元々映画もドラマも邦画はあまり見ないので、つい先日まで「仁-JIN-」の存在は名前だけしか 知りませんでした。
そういえば妹が騒いでいたなあくらいのイメージ。
でもTSUTAYAの「動画見放題」に加入して、リストに「仁-JIN-」を見つけた時、見てみようと 思ったのは、最近幕末に興味を持ち始めたからです。

以前も書いた気がしますが、私の興味は戦国時代から江戸時代に集中していて、それ以外は 全く興味なし、よって知識もなし、でした。
なので「坂本龍馬が出てくるドラマ」として見たわけです。
恥ずかしながらあっという間にハマってしまいました(笑)。

ドラマの1期を見て、原作一気に読んで、2期(完結編)は見放題になかったのでTSUTAYAで借りて、と まんまとTSUTAYAの戦略に乗せられたわけですが、それでも悔いはない!くらい夢中になりました。

これほど原作もドラマも違った設定でありながら、根本的にストーリーは同じとし、破たんもせずに 違った形の感動を爆発させる、すごい作品だと思います。
(個人的にはよりストイックな原作がより好きかな?)

ドラマで最初若くてかっこいい大沢たかおさんが出て来た時はなんで?って思いました。
原作は完璧にさえない(失礼!)おじさんで、でもそこが仁の魅力だと思ってましたから。
でもほんとによく泣く仁先生でしたね。

「海街diary」の幸よりも、「精霊の守り人」のバルサよりも、私は綾瀬はるかさんの「咲」が好きでした。
一番無理なく演じていた役だと思います。
ドラマで「〇〇先生」と手紙をしたためていたところ、秀逸でした。
本当に忘れていたのか、歴史の修正力に抗うためにあえて書かなかったのか。

もし仁の名前を書いていたら手紙自体が消えていたかもしれない、そんな深読みさせる見事なシナリオでしたね。
あとはもちろん私の大好きな中谷美紀さん。
実は大河ドラマの黒田官兵衛以来久々に見た(もちろん放映は「仁-JIN-」の方が先ですが)中谷さん、あの流し目の 色っぽさには女性の身でありながらぞくっとしました。

本当にかっこいい女優さんだと思います。
他に好きだったのが武田鉄矢さんの緒方洪庵と内野聖陽さんの坂本龍馬。

でも武田さん、もっと若かったら坂本龍馬やりたかったかもしれませんね。
それにしても原作もドラマも「主役の」仁さんは、咲さんとは結ばれずに終わったわけで、感動はあるけれどちょっとせつない。
原作で最後にタイムスリップした仁さんは、主役の仁さんの記憶を持っていたのでしょうか。
そうでなければ改めて咲さんとの出会いから始まることになるので、もしかしたら、原作は主役の仁さんが分裂したのかも、 と思いました。

でも最後野風(の子孫)と結ばれる?展開には驚きました。
最終回はドラマの方が無理がなかったと思うけど、こちらは咲さんがちょっと可哀そう、そんな展開でした。
でも誰もが望む、仁さんが再び戻って咲さんと結ばれる最後にしなかったのはなぜだろう、と思います。
当時インタビューなどなかったのかな?

ところでドラマ「仁-JIN-」のOPに時々私の大好きな扇屋さんの写真、完結編の最終回ではやはり大好きな北区中央図書館が 登場して驚きました。先日行った時に大沢さんが座ってたのと同じアングルで見てみました。
当時は大騒ぎだったんだろうなあ。

ひとりごと」 に参考写真を載せてあります。

(2016年8月9日の日記)
8月11日伊藤晴雨幽霊画展 1


初日に行って来ました、両国江戸東京博物館の伊藤晴雨幽霊画展!
どんなに混むかと思ったら、物凄かったのが特別展の「大妖怪展」。
(こっちも見たかったんですけどね。)
「妖怪ウォッチ」もいるらしく、家族連れで大賑わいで、おかげで幽霊画展をゆっくり見ることができました。

以前も書きましたが、毎年8月に、所蔵している幽霊画を展示している谷中の全生庵さんが、去年は東京藝術大学美術館の「うらめしや〜冥途のみやげ展」に幽霊画を貸し出しました。
それで全生庵に飾る分が足りなくなり、柳家小さん師匠に寄贈された伊藤晴雨の幽霊画19幅のうち14幅を全生庵に展示したのです。
もちろん私は狂喜でしたよ、何度通ったことか。
ところが、東雅夫著「江戸東京怪談文学散歩」に書かれていた累の絵もなく、御住職に「来年も是非!」とお願いしましたが、「無理でしょうねえ。」と断られてしまいました。

でもこの時、スタジオジブリの鈴木さんが絶賛していたという話も聞いていたのです。
それが今年、このような形で全19幅見ることができるとは!
御住職、ありがとう!鈴木さん、ありがとう!
何より目録が出たことにより、絵をいつでも見ることができる、この嬉しさです。

ところで今回絵を見て自分が去年の時点で誤解していたことに気がつきました。
御住職に絵の意味が分からずに聞いた物があるのですが、それは縦長の灯籠に恨めしそうな横顔が描いてあるものでした。
「これは何ですか?」と聞いたら、御住職が「牡丹灯籠。」と答えて下さったように聞いたのです。
ところが、今回見たら、これは「累の盆灯籠」、牡丹灯籠ではなく累の絵だったのです。

でも私が見たかったのは鎌が描かれている累の絵で、累の絵が2幅ある事を知らなかったので、すっかり誤解してました。
今年は念願の鎌が描かれた累の絵ももちろん見ることができました。
今回は伊藤晴雨の幽霊画だけでなく、江戸の風俗を描いた貴重な資料も見ることができます。
そして特筆すべきは、幽霊画以外は、写真撮影可なのです!
コピー?ですが、幽霊画も3幅ほど外に出ているので、それは撮ることができます。

去年はタイトルも説明もなしでしたが、今年は安村敏信さんの解説付きでとてもわかりやすいです。

1、謡曲 山姥
能の「山姥」からとった題材ですが、足の部分を消しているので、見ようによっては幽霊と言えるかも。

2、怪談牡丹灯籠
全生庵に尾形月耕版の牡丹灯籠がありますが、あちらが骨と皮ばかりにやせ細って恨めしげなのに比べ、晴雨版はまだ生身の人間ぽくてお露も可愛いです。
伊藤晴雨の描く娘はふっくらしていて可愛い絵が多いですね。

3、滝夜叉姫
去年見て滝夜叉姫かな?と思ったらやっぱりそうでした。
印を結ぶ滝夜叉姫の横顔の美しさと、背後に控える巨大な蝦蟇の対比が凄い。

4、皿屋敷のお菊
全生庵にも池田綾岡版のお菊さんがいますが、どちらもきちんとした拵えで顔は隠してるところが同じ。
池田版が座り、晴雨版が立っている違いでしょうか。
私は晴雨版が幽霊っぽくて?好きです。

5、姑獲鳥
きっと京極夏彦さんも見に来るでしょうね、姑獲鳥もいるし豆富小僧もいるんですから。
晴雨の姑獲鳥はちょっと不思議な感じで、難産で死んだ女の霊である姑獲鳥(産女)を、背後から抱え上げて飛び立っているのも白い羽を持つ姑獲鳥。
この姑獲鳥はどうしようとしているのでしょうか。
抱かれた子の安らかな寝顔から、姑獲鳥が産女を救おうとしている絵だとと思いたいです。

6、茨木童子
これは去年は見られなかった絵ですね。
茨木童子といえば、東京都北区の王子稲荷神社に柴田是真作の茨木童子の大きな絵馬がありますが、顔が非常に似てますね。
安村さんも書いていますが、あの絵を左右逆転させた感じです。

7、位牌を持つ幽霊
去年も飾られていたのに、どんな絵だったかすっかり忘れていたという情けない私・・・。
よく見ると怖いのですが、どちらかというと「奇麗な絵」に心を奪われた記憶が。

8、累の盆灯籠
画集の中でも2ページ使って、その灯籠の曲線の美しさを際立たせています。
去年見た中でも特に印象に残った1枚。
前述したように、今年見るまで「牡丹灯籠」だとばかり思っていました。

9、海坊主
これも去年見て、どんな絵だったか思い出せなかった絵。
「位牌を〜」もそうですが、去年見た時点ではストーリーを感じなかったせいで印象が薄いのかも。
でも「雨窓閑話」にある桑名屋徳蔵という有名な船乗りの話にもとづく絵だそうです。
今見ると、位牌もこれもスピード感が凄いです。

10、猪熊入道
大江山の酒呑童子の配下のひとりで、鎧の片袖をくわえた姿は有名ですね。
そのまんまの絵です。

この項続きます。

ひとりごと」 に参考写真を載せてあります。

(2016年8月11日の日記)
8月13日伊藤晴雨幽霊画展 2


11、置いてけ堀
去年見れなかった本所七不思議の「置いてけ堀」より河童。
愛嬌があって可愛い河童です。

12、猫の怪談
ちょっと目には可愛い黒猫?と思いますが、よく見ると棺桶の中から不気味な顔がのぞいています。
この絵の印象はかなり強烈で、後日夢に見ました。

13、豆腐小僧
これも今年初めて見ることができた絵。
豆腐小僧といえば京極夏彦さんですが、あちらの絵よりはかなり不気味です。

14、盂蘭盆会の亡者
私が去年見た中で一番好きだった作品。
ナスやキュウリに乗って帰って来る2人の嬉しそうな事!
何とも言えない愛らしさです。

15、髑髏と蛇
今年初出。
蛇の生きの良さがちょっと笑えるほどです。

16、毒婦小松
去年はただ狼が咥えた生首の絵としか思いませんでしたが、これは「毒婦小松」という歌舞伎からとったもので、 次々と客をだまして殺した芸者小松の末路だそうです・・・。

17、川で蘇る亡霊
ふっくらしたシルエットが一瞬可愛いと思ってしまいますが、実は溺死した後の蘇り。
その色合いの不気味さが言いようのない恨めしさと悲哀をたたえています。

18、東海道四谷怪談深川三角屋敷の場
四谷怪談といえば顔の崩れたお岩さんを描くところ、あえてたらいに浸けられた着物から腕が伸びる絵に。
腕の異様な長さ、細さ、青さがお岩さんの恨み苦しみを表現しています。

19、真景累ヶ淵
念願の累ヶ淵、やっと見ることができました。
鎌と撫子の対比、絡みつく髪の毛、その美しさと恐ろしさの対比は、やはり今回展示された晴雨の幽霊画の中でも 圧巻。
画集の表紙絵に選ばれたのも納得の美しさです。

今回全生庵に展示されている「怪談乳房榎図」はともかく去年「うらめしや〜、冥途のみやげ展」で展示された町娘の 「幽霊図」がなかったのは残念でした。
全生庵所蔵ではないので仕方ないのかもしれませんが。

展示は幽霊画の他にも晴雨の「江戸と東京風俗野史」他風俗考証家としての一面も見ることができます。

ひとりごと」 に参考写真を載せてあります。

(2016年8月13日の日記)
9月16日さよならポワロ


★「カーテン」に関して重大なネタバレがあります。★

約1年前に放映された、「 さよならポワロ〜世界が愛した名探偵・25年の軌跡〜」を遂に観てしまいました。
(私の中では「ポアロ」の方が馴染がいいので、以下「さよならポワロ」のタイトル以外は、 ポアロと表記させて頂きます。)

まだ「オリエント急行の殺人」と「カーテン」は、録画はしてますが、観ることができずにいます。
特に「カーテン」はポアロ最後の事件であり、ポアロの死が描かれる作品なので、どうしても観れません。
原作はそういった流れを知らずに読み、かなりショックを受けました。

ちなみにジェレミー・ブレットのホームズと、ジョーン・ヒクソンのミス・マープルは最終回など意識せずに 観ていていつの間にか終わってたという感じなので、それほどショックはなかったかな?
でもジェレミー版以降のホームズは一切観ていません。
マープルは、あまりにも設定や物語が違い過ぎて、逆に別物語として抵抗なく観ています。

話を戻して、「さよならポワロ」は、25年にわたるポアロシリーズの歴史をたどるスペシャル番組。
スーシェ本人が案内人となってオリエント急行やクリスティーの故郷、住んでいたポアロがマンションなど を再訪してゆかりの人物に会ったり、撮影の様子を見せてくれます。

「カーテン」の重要なシーンが突然出てきて思わず涙がこぼれそうになりました。
スーシェ自身はそれほどでもないけど、吹き替えを務める熊倉一雄さんの声の衰えにも切なくなりました。
演技は全く衰えていない、でも声の衰え・・・。
その熊倉さんも全てのポアロを演じ切って後、亡くなりました。

ポアロもマープルもホームズも、たぶん再放送で観てたんだと思いますが、全てが「古き良き英国」を体現してたなあ。
私の海外ミステリ好き、海外ドラマ好きもこの3作品の影響が大きかったかと。
いつか「カーテン」を観たら、また「さよならポワロ」を観てみよう。

それからポワロとマープル、スーシェとヒクソンが一度だけ会った、あの場面も観てみようと思います。
ホームズやマープルのように、キャストを変えて新たなポアロが始まるなんてこと、あるかなあ。
鬼平とポアロはもう代わりに演じる人がいない気がします。

(2016年9月16日の日記)
10月31日神田古本まつり


久しぶりに神田古本まつりに行って来ました。
神保町駅を出て、わあ懐かしいなあ、この感じと思ったら、神保町自体が数年ぶり。
最近では乗換駅でしかなかったんですね。
昔は月1回は来て古本屋さんをぶらついてたのになんでだろ。

そういえば最近は古本といえばアマゾンとブックオフだけだ・・・。
これも「犬夜叉」の影響かも知れないです。
雑読派だった私が「犬夜叉」に出会ってサイトを立ち上げました。
それ以来調べたいことが多すぎて、読書から調書(調べるための読書という意味で)へ、 さらに雑読から特定ジャンルの本ばかりの読み込みへと読み方が変わって行きました。

そういう目的があって本を探すなら、あるいは特定の本が欲しいなら、アマゾンやブックオフの方が ずっと探しやすいです。
(値段が一定で買いやすいというのもあります。)
つまり掘り出し物を探して神保町をうろつく、という余裕がないというか、新しい作家、新しいジャンルが 心に留まる隙間がなかったというか。

そんな事に気づいて愕然としながら歩いてみましたが、まずは人だかりを押しのけて本の前に立つ タイミングが取れない・・・(笑)。
満員電車に乗る時、バーゲンで気に入った服を取る時、わずかの隙間を見計らってさっと乗り込む、さっと手を出す。
簡単そうで慣れるまでは意外と難しいものです。

それと同じで本の前の人だかりは私には立ちはだかる壁に見えました。
かといって人が少ない所に行っても思いっきり専門書とか、超マニアックな本ばかりでさすがに手が出ない。
歩いていてふと目に留まる、そんな勘も鈍り、なんか疲れあなあと思ってたのも最初の30分。
だんだん思い出してきましたよ、神保町の醍醐味を。

そうとわかれば話は簡単。
お気に入りの書店がどこにあったか、お気に入りの喫茶店がどこにあったか、思い出し始めます。
あてのないぶらぶら歩きから一転、確信に満ちた足取りで?歩き始める自分がいます。

結局山のように買いあさり、ひーひー言いながら持ち帰って来ました。
何の本を何冊買ったか、総額いくらかはとてもここには書けません(笑)。
懐かしの喫茶店も、古本まつりでどこのお店も長蛇の列。
でも高くて買えないけど見てるだけで楽し大屋書房はしっかりチェックしたし(奇麗な外国の女性が、3万円の の錦絵を気軽に買っているのを見かけてびっくり)。

あと最近始めたくずし字の基本的な本を数冊、横溝正史の金田一耕助以外の本が安かったので数冊って 書いてどうする(笑)。
でもやっぱり楽しいや、神保町。
結局土日二日間みっちり通いつめました。
やっぱり読書は楽しいな。

(2016年10月31日の日記)
4月21日 かぐや姫の物語
「かぐや姫の物語」が公開されたのは2013年(平成25年)、もう4年前ですか。
CMを覚えています、とにかく綺麗でした。
風景も、かぐや姫の表情も。
ジブリで初めて「これ観たい!今すぐ観たい!」と思った作品です。

でもなんがかんだで見る機会もなく、先日テレビでCMにイライラしながら観ました。
感動とは別にいろいろ考えさせられる作品でした。
あと不思議なことに声にひっかっからなかった。
声優さん以外のキャラも多いのですが、突出した棒読みさんがいないせいで、とても自然に聞こえてきました。
これは本当に嬉しかった。

原作は「竹取物語」なのでストーリーは動かせない、それは承知の上で見ていると、かぐや姫の父にあたる翁と捨丸の存在がおもしろかった。
かぐやの罪と罰はもう周知かと思うのでここでは語りません。
翁も捨丸も基本はいい人。
でもかぐやの願いが「ここ」で生き続ける事ならば、そのチャンスを与えたのがこの2人であり、同時にそのチャンスを奪ったのもこの2人です。

もし翁が月からの贈り物(黄金や美しい衣)に惑わされず、かぐやの思い通りにさせていたら、もし捨丸と普通に恋を実らせて一緒になっていたら。
あれほど「おぞましく」描かれた貴族たちや帝の求婚を、かぐやが「けがらわしく」思うことなどなかったでしょう。
その「穢れ」を知る機会こそなかったでしょう。
翁に「寝間の支度」と言わせたのには本当にびっくりし、同時にぞわっと鳥肌が立つような気分になりました。

「かぐや姫の物語」はジブリ作品だけど、その世界は大人のものです。
監督はあえてこの台詞を入れたのだろうなあと思います。
悪人ではない翁、でも翁の行動がかぐやをどんどん不幸にし、最後はむごい別れへと向かって行くのです。
もし翁が黄金や衣に惑わされず、かぐやとつつましく、その笑顔のみを大切に育てることができたら、かぐやはもしかしたら月に帰らずすんだかもしれない。
でもそれは「竹取物語」にならないのです。

だから翁は、悪気はないけどかぐやのためを思って悪い方向に突き進んでしまう愚かな人物として、選ばれたのでしょう。
かぐやは貧乏に虐げられることで月に帰りたいと思うような娘ではない。
意にそわぬ結婚を強制される、しかもかぐやにとって大切な存在の翁が、それをかぐやのためと信じて押し付けて来るその切なさ。
翁は悲しい意味で月に選ばれた者だったんですね。
そして哀しい意味で監督に作られた者。

捨丸はその名前が全てを語っていると思いました。
優しく強くかっこよく、かぐやのことも思っている少年でした。
かぐやが都に行かなければ、普通に添い遂げていたでしょう。
でもそれでは「竹取物語」にはならない。

彼は「捨てられる」ための存在だったのではないかと思います。
最後の方で束の間の逢瀬を楽しむような、美しいシーンが現れますが、あれは果たして現実だったのか。
かぐやの夢だったのか、捨丸の心の奥底に眠る願望だったのか。
捨丸にすでに妻子がいながら、視聴者には見せ、かぐやには見せなかったことに大きな秘密がありそうです。

普通なら(妻子がいたとしても)、そこで見せる必要はない。
逆にかぐやに見せて、さらに残酷な罰を与えることもできたのに、それもしない。
捨丸を、妻子がいながらかぐやと駆け落ちするようなキャラに仕立てた理由。

おそらく月は感情が波立つことのない世界なのでしょう。
愛し合ったり憎んだり、泣いたり嘆いたり心から笑ったり。
かぐやはそれら全てを受け入れようとしていた。
不倫もこちらに暮らす人間ならば否応なしに直面する不幸のひとつです。

穢れのない恋と生々しい現実と。
妻子を見せなかったのは監督の優しさなのか。
捨て身の恋すら穢れのないものではなかった、視聴者への監督の残酷なメッセージなのか。
でも最後、感情を奪われ、月に帰るかぐやが振り返った瞬間がとても美しく見えた。

穢れも含めて受け入れた、生き抜いた。
感情のない世界の中で、涙をこぼしながらわらべ歌を歌うかぐやが、おそらく月の世界で一番生きいきと輝いているのでしょう。
この映画に関して監督が語っていることはあるのでしょうか。
あえて見ないつもりですが。

それにしてもこの映画、翁、捨丸だけでなく男性陣がなんかひどかったですね(笑)。
それに比べて媼、女童が本当に素敵でした。
ロッテンマイヤーさんみたいな相模も良かった(最後、斎部秋田と月見してましたね)。
実は一番泣けたのが、眠り込んでいたと思っていた女童が子供たちを連れて歌いながら行進している場面。

かぐやが正気に返ることができました。
あまり感情を見せない子でしたが、とてもとても可愛かった。
そしてかぐやの一番の理解者である母媼。
彼女がいなかったら、もしかしたらかぐやはもっと早く、未練なく帰っていたかも。

でも全てが置いて行かれる。
愛した人も、愛されなかった人も。
原作以上に想いの残る作品でした。
絵も綺麗、音楽も綺麗、一抹の穢れ、濁りも含めて素晴らしい作品でした。
不思議と押しつけがましさがないのも良かったです。

(2017年4月21日の日記)
10月24日 怖い絵展
先日「怖い絵展」に行って来ました。
あいにくの雨でしたが、そのせいか思ったよりすいてて、さほど並ばずに入れました。
中に入ると、スタッフの方が「順番に見なくても、中の方がすいてますのでそちらもどうぞ。」みたいなアナウンスをしてて、それに従って一気に出口のそばまで。
おかげで私がどうしても見たかったジェーン・グレイを、しばらく独り占めできました。

まず驚いたのは絵の大きさ。
横3メートル縦2.5メートルほどの大きさなので、当然描かれる人物像も大きく、見る側はジェーン・グレイを下から見上げる感じになります。
その美しさ故に、まるで舞台を見ているような錯覚に囚われます。
薄暗い背景に際立つ純白のドレスと目隠し、白い肌、そして清純でありながら官能的な赤い唇。
後ろで嘆き悲しむ侍女に比べて、目が隠されているにもかかわらず、静かな悲しみをたたえたその表情が印象的です。

「9日間の女王」と呼ばれたジェーン・グレイの悲劇はあまりに有名なので簡単に紹介すると、宗教をめぐる権力闘争の末、夫であるギルフォードと共に王座に据えられます。
けれどもわずか9日でメアリ1世により廃位、逮捕、ロンドン塔の幽閉、処刑の道を歩むことに。
その理不尽な運命に対する画家ドラローシュの怒りが極端に美化されたジェーン・グレイの描写に溢れていますね。
この絵の非現実的なほどのジェーン・グレイの美しさが見る者に違和感を抱かせないのは、この美しさが見る側に媚びたものではなく、ジェーン・グレイへの同情、共感、敬愛の念に満ちているからではないでしょうか。

彼女の人生に関しては知っていましたが、この絵自体もまた不可思議な歴史を辿って来たというのは初めて知りました。
1883年にパリのサロンで発表されますが、後にロシア人の富豪が購入したことでいったん見ることができなくなります。
しかし1870年にイギリス人が入手し、ナショナルギャラリーに寄贈したことで再び見ることができるようになりました。
この時、夏目漱石も見に行ったそうです。

1928年にはテムズ川が氾濫し、この絵も行方不明になりましたが、半世紀後の1973年に若い学芸員が奇跡的に無傷で発見しました。
この絵をよくぞ日本に持って来て下さったと中野さん始めスタッフの方々には感謝しかありません。
怖い絵展の目玉となったこの作品ですが、「怖い絵」というよりは「哀しい絵」「美しい絵」と私は表現したい。
数奇な運命をたどってこうして日本で見ることができた幸せ、もう一度ジェーン・グレイに想いを馳せたいです。

もうひとつ見たかったのがウォルター・シッカートの「切り裂きジャックの寝室」。
ケイ・スカーペッタが主人公の検屍官シリーズを書いたパトリシア・コーンウェルのファンならご存知かと思いますが、コーンウェルは「切り裂きジャック」でこの事件を検証し、犯人をシッカートと断定しています。
その正否はともかく、コーンウェル自身がスカーペッタになったような、その検証の過程はとても読み応えのあるものでした。
そのシッカートは切り裂きジャックが住んでいたとされるアパートを借り、描いたのがこの作品。
ストレートな意味で「怖い」作品はこれかと思います。

別の意味で怖かったのがモッサの「飽食のセイレーン」。
夢に出て来そうな怖さです、でも笑える怖さ。
でも全体的に本当に怖いのは(ホラーを見慣れてる私からすれば)、残虐な絵よりも雰囲気で怖さを表現している絵でしょうか。

画集も読み応えあったし、できれば何度も見に行きたいです。
最後に笑ったのがグッズ売り場で見つけた「黒い恋人」とのコラボお菓子。
白い恋人を怖い絵展用に作ったのかと思ったら、全く別メーカーの別のお菓子なんですね。
でも私はここで「白い鬼人」を思い出してしまったのです、余韻が台無し・・・(涙)。

10月7日から12月17日まで上野の森美術館で開催中、1,600円。
お勧めです。
(20年10月24日の日記)


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