北区以外のお気に入り(四)


深川(江東区)
鬼平ゆかりの捕物の舞台へ。

水運で栄えた新興地に鬼平スポットが点在。
池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」で知られる「鬼平」こと長谷川平蔵は、深川界隈え活躍した 実在の人物。
火付盗賊改役として約8年間にわたり数々の凶悪事件を取り締まった。

当時の深川は、江戸市民の生活ゴミや火災の焦土によって埋め立てが行われ、合わせて 運河が整備されたことで一大水運都市として賑わっていた地。
岡場所(幕府非公認の遊廓)も数多く、一時は吉原にせまるほどの活況を見せていたという。
しかし、天明の飢饉(1782年〜1787年)を境に治安は乱れ、凶悪事件が多々勃発。
そこで鬼平が活躍することになるのである。

現在の深川周辺は、かつての新興地の面影を色濃く残し、道は基盤の目のように走り、 ところどころに水路も流れている。
街を歩けば、長谷川平蔵屋敷跡や二之橋をはじめ、「鬼平犯科帳」に登場する名所がそこかしこに 見られる。
物語の世界と史実の捕物の舞台、両方を見て回ることができる街なのだ。
鬼平気分で町を闊歩してみてはいかがだろうか。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★東京都江東区
石室(千代田区)
江戸城本丸御殿の大奥の脇にあった石室。

内部は20?ほどの広さで、金庫や抜け穴など諸説あるが、火災などの有事に大奥で使われていた 調度品を避難させていた場所という説が有力とされている。
伊豆半島産の安山岩により組まれた重厚な造りが特徴。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★東京都千代田区千代田1−1
川越まつり会館(川越市)
江戸の天下祭り(神田明神の神田祭と赤坂日枝神社の山王祭)の影響を受けて、 発展した川越まつりについて紹介する施設。

実際に祭りで使用される山車の展示の他、舞手から見た祭りの風景を見られる 設備、大型スクリーンなどがあり、実際に祭りに参加したかのような体験ができる。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★埼玉県川越市元町2丁目1−10
渋沢栄一像(千代田区)
埼玉県の豪農に生まれ、攘夷運動を経て実業家に転身した渋沢栄一。

第一国立銀行や王子製紙など、日本の経済を牽引する企業を次々と設立し、 「日本資本主義の父」と呼ばれた。
その功績を称え、昭和8年(1933年)に銅像が建立された。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★千代田区大手町2-7-2常盤橋公園内
鶴岡八幡宮(鎌倉市)
源義家が康平6年(1063年)に由比ヶ浜辺に石清水八幡宮を一族の氏神として 祀ったのがはじまり。

その後、源頼朝が現在の地に還、鎌倉の街作りの中心として整備。
源頼朝公と実朝公を祭る白旗神社など、源氏ゆかりのスポットが点在する。
9月16日に行われる流鏑馬神事も必見。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
(根津神社)文京区
約1900年前に日本武尊が創祀し、宝永3年(1706年)に五代将軍綱吉が社殿を奉建。

境内には、鴎外や漱石がよく腰掛けて作品の構想を練っていた「文豪憩いの石」や、 現在水飲み場となっている「森鴎外奉納の石」などが点在。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★文京区根津1-28-9
福徳神社(中央区)
貞観(じょうがん)年間(859年〜876年)に創建されたと伝わる古社。

徳川家康をはじめ歴代将軍が参詣したことでも知られ、二代秀忠は「福徳とはめでたい 神号である」と称賛した。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★中央区日本橋室町2-4-14
伊勢重(中央区)
明治2年(1869年)創業の東京で現存する最後のすき焼き店。

A5ランクの最高級和牛を、熟練の技で丁寧に肉目に沿って手切りすることで肉を最高の状態で 提供するほか、水火鉢を使い炭火で調理するスタイルは創業当時のまま。
肉の旨味を存分に引き立てる甘さ控えめの秘伝の割下も相性抜群だ。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★中央区日本橋小伝馬町14-9
寛永寺(根元中堂)(台東区)
二代秀忠と天海僧正の協議により建立が決まり、三代家光時代の寛永2年(1625年) に創建された徳川家の祈祷時。

もともと現在の竹の台噴水周辺に根元中堂が建っていたが、上野戦争で焼失。
徳川慶喜が新政府への恭順のため謹慎した古刹でもある。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★台東区上野桜木1-4-11
ドラマのある、建造物へ
明治・大正時代、日本は劇的に変化した。

王子の建物にはそんな時代の名残が宿っている。
大出世を遂げた異人の別荘から文明開化を象徴する館まで、ドラマチックな建造物を巡ろう。

文明開化の時代に次々と生まれた名建築

明治時代初期、下級武士から政治家や実業家へと転身を遂げた人物は数多い。
中でも、日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一や三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎は別格。
財界の重鎮として最高水準の生活環境に身を置いた。
彼らの邸宅は今なお残り、往時の栄華を伝えている。

手入れの行き届いた庭園や、細やかな配慮が見える調度品などを眺めると、彼らがなし得た 成功の裏側に、人生の機微が隠れているようにも感じられる。

また、時代背景を繁栄した建物として注目したいのが、迎賓館赤坂離宮。
明治後期に東宮御所として建てられたが、あまりにカビだったために離宮として扱われる ようになったという。
建物に息づく物語を感じながら見学すると、よりおもしろい。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
天守台(千代田区)
寛永15年(1638年)に天守閣が再建された跡地。

当時は高さ約58mにも及ぶ天守閣がそびえ、黄金のシャチが飾られていたという。
その高さは現代のビル20階相当。
現在は石垣のみが残っており、天守台に自由に登ることができる。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★千代田区1-1皇居東御苑内
能勢妙見堂(墨田区)
安永3年(1774年)、妙見大菩薩の分体が安置されたことで、江戸庶民に開運 厄除けの神様として崇敬を集めた。

勝海舟が子供の頃に睾丸を犬に嚙まれて重症を負った際、父・小吉(こきち)は ここで水をかぶり、息子の回復を祈ったという。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★墨田区本所4-6-14
伏見櫓(千代田区)
寛永5年(1628年)、京都の伏見城から移築されたと伝わる二重櫓。

横には多聞(たもん=周造子を兼ねた長屋風の櫓)も続いている。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★千代田区皇居
伊東玄朴居宅跡・種痘所跡(台東区)
伝来して間もない牛痘接種法に、いち早く取り組んだ蘭方医・伊東玄朴。

居宅兼家塾「象先堂」はこの地に建っていた。
お玉が池種痘所の開設にも尽力し、種痘所が消失した際は、この居宅のすぐ南に 種痘所を設けた。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★台東区台東1-30及び28付近
寛永寺 旧本坊表門(台東区)
寛永2年(1625年)、現在の東京国立博物館の敷地内に建てられた旧本坊。

輪王寺宮を賞する法親王が代々居住していたが、上野戦争により建物は消失。
唯一戦火を逃れたのが、この門だった。
昭和12年(1937年)、現在地に移設された。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★台東区上野公園14
蛇の目鮨本店(中央区)
慶応元年(1865年)創業の老舗で、初めて助六寿司を作った店として知られている。

芝居「助六所縁(ゆかり)江戸桜」に登場する傾城揚巻の名前を洒落て、いなり寿司と 巻き寿司の組合わせを「助六」と名づけたという。
赤酢を使い酸味を利かせたシャリは昔から変わらない伝統の味わいだ。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★中央区新富1−7−9
伝通院(文京区)
家康の母・於大の方の菩提寺として知られる。

もともとは寿経寺という名だったが、於大の方の法名から伝通院に改名。
徳川家の庇護を受けて、大伽藍が建てられた。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★文京区小石川3-14-6
能見宿禰神社(墨田区)
現在の境内東側に初代高砂親方の部屋があった縁で、明治17年(1884年)に創建。

相撲の神様を祀る神社として知られ、相撲協会や関係者から厚い崇敬を集めている。
境内には、江戸時代から面々と続く歴代横綱の名前を刻んだ石碑も立っている。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★墨田区亀沢2-8-10
文京区立森鴎外記念館(文京区)
鴎外が明治25年(1892年)から、亡くなる大正11年(1922年)間で過ごした「観潮楼」の 跡地に建てられた記念館。

作品や経歴の紹介はもちろん、多彩な肩書きを持つ鴎外の実像に迫るため、、文化人 達との交流などを紹介した特別展も開催している。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★文京区千駄木1-23-4
上野精養軒カフェラン ランドーレ(台東区)
明治9年(1876年)、岩倉具視をはじめ、三条実美、大久保利通ら政府高官の 援助を受けて上野公園内に開業。

牛肉を食べる習慣がなかった頃からハヤシライスやビーフシチューといった西洋料理を 提供してた。
国際的な会談場所としても選ばれた格調高い店内からは、不忍池を望める。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★台東区上野公園4-58
寛永寺 清水観音堂(台東区)
寛永8年(1631年)、徳川家三代を支えた天海僧正により、上野恩賜公園内に建立。

寛永寺の根本中堂建設工事にともなって、元禄7年(1694年)に現在地に移築された。
堂内には「彰義隊上野戦争図」の巨大絵馬が飾られている。

(ぴあMOOK「東京歴史さんぽ」参照)
★台東区上野公園1-29
秋色庵 大坂屋(港区)
創業は元禄年鑑(1688年〜1703年)。

起源は大坂だったが、その後江戸へ移り商売を開始。
江戸時代の狂歌師・蜀山人の「半日閑話」をはじめ数々の古書に登場するなど、当時から 広く知られる名店だった。
三色最中発祥の店としても有名。

★港区三田3-1-9
東京駅丸の内駅舎(千代田区)
大正3年(1914年)、建築家・辰野金吾と葛西萬司が設計した東京駅を2012年に改装。

当時の工法や材料を用い、100年前の姿を再現した。
丸の内口中央に皇室専用改札口を設けるなど、国家のシンボルとして作られた面影も残る。
内観の装飾もクラシカル。

★千代田区丸の内1
上野東照宮(台東区)
寛永4年(1627年)に創建され、現在は家康・吉宗・慶喜を祀る。

現存する建造物は三代家光が改修したもので、大石鳥居から社殿まで並ぶ約250基の 灯籠は、全国の諸大名が奉納。
上野戦争による被害を奇跡的に免れた。

★台東区上野公園9-88
御茶ノ水・神田周辺
江戸の若者達が闊歩した学問所や私塾集まる町へ

立身出世を夢見た武士達が行き交った町

旗本や御家人のほか、全国から藩士達が集まった江戸。
中期ごろには学問で身を立てようとする学者の多くも江戸に出て来、教育に対する土壌が醸成された。
市内には読み書きを教える寺子屋(手習塾)から高水準の学問を指導する私塾まで、多彩な塾が誕生。
最盛期には4000軒以上の塾が存在したという。

こうした学問所の頂点に君臨していたのが、湯島にあった幕府直轄の昌平坂学問所。
主に旗本・御家人の指定を大正に官僚育成教育を行い、筆記試験なども実施。
好成績を修めると役職への登用や昇進などがあり、立身出世の貴重な手段でもあった。

湯島一帯を歩くと、昌平坂学問所が置かれた湯島聖堂をはじめ、剣術道場跡地や蕃所調所(洋学研究 教育期間)跡など往時の学舎跡が点在。
湯島は現在の学生街に近い土地柄だったことがわかる。
また、安政期に蘭方医達が日本初の予防接種を行った種痘所跡など、学問で身を立てた偉人達ゆかりの地も点在。
往時の若者達が抱いた志に思いを馳せながら、散策してみよう。

★千代田区
神田明神(千代田区)
創建は天平2年(730年)にまでさかのぼる古社で、正式名称は神田神社。

家康が関ヶ原の戦いの際に戦勝祈願したことで、幕府から手厚い庇護を受けた。
江戸時代中期頃、境内にあった芝崎邸内に国学の教場が開かれた。

★千代田区外神田2-16-2
酒悦(台東区)
延宝3年(1675年)創業の海産物商として開業し、現在は漬け物を中心に取り扱う。

明治初期に福神漬けを発明した元祖の店で、その味を受け継ぐ「元祖福神漬」 1袋540円が名物。

★台東区上野2-7-11
東京国立近代美術館工芸館(千代田区)
明治以降の陶磁やガラスを中心とした近現代の工芸作品を展示。

建物は明治43年(1910年)に近衛師団司令部庁舎として建てられているもので、国の 重要文化財に指定されている。

★千代田区北の丸公園1-1
鰻 やっこ(台東区)
200年以上前から浅草に店を構える老舗鰻店。

嘉永5年(1852年)に発行された「江戸前大蒲焼番付」という鰻店の紹介紙にて高い評価を 得ており、夏目漱石や岡本綺堂の作品にも登場する。
身が崩れる寸前まで蒸し、備長炭で丁寧に焼き上げた鰻は、ふんわりとやわらか。

★台東区浅草1-10-2
桔梗門(千代田区)
大名の登場門のひとつに定められていた門。

昔、門の瓦に江戸城を築城していた太田道灌の家紋(桔梗)が付いていたことから命名。

★千代田区千代田1-1
浄閑寺(荒川区)
安政2年(1855年)に起こった安政の大地震のとき、吉原の遊女達が投げ込み 同然で埋葬された。

墓所には新吉原総霊塔が立つ。

★荒川区南千住2-1-12
東京国立博物館(台東区)
明治5年(1872年)に開館した日本で最も長い歴史を持つ博物館。

関東大震災で被害を受け、昭和前期に近代建築家・渡辺仁の手により再建された。

★台東区上野公園13-9
報国寺(神奈川県)
足利尊氏の祖父である足利家時が建武(けんむ)元年(1344年)に創建。

本堂の奥には、約1000本の孟宗竹が生茂る竹庭が広がり、庭を見ながら「抹茶セット」 500円をいただくこともできる。

★神奈川県鎌倉市浄明寺2-7-4
英勝寺(神奈川県)
徳川家康の側室であったお勝の方(英勝院)が建てた寺で、現在鎌倉に残る 唯一の尼寺。

お勝の方が初代水戸藩主である徳川頼房の養母であったことから、代々水戸家の姫が 住職を務めていた。
水戸光圀が鎌倉の地誌編纂のため調査を行った際も、ここを拠点にしたという。

★神奈川県鎌倉市扇ヶ谷1-16-3
北白川宮能久親王銅像(千代田区)
北の丸公園内に立つ銅像。

上野戦争では彰義隊に擁立されたものの、戊辰戦争後は陸軍軍人となり、近衛師団長を 歴任した。
明治天皇の義理の叔父。

★千代田区北の丸公園1
彰義隊の墓(台東区)
上野戦争に敗れ、討ち死にした彰義隊士266体を偲んで建てられた。

遺骸は新政府から官許を得た円通寺に合葬。
上野恩賜公園内の墓は、そのときの火葬場だった場所。

★台東区上野公園1-54
東京大学大学院理学系研究科付属植物園(小石川植物園)(文京区)
植物学の研究を目的として東京大学が営む植物園。

貞享元年(1684年)、幕府の命により薬草の栽培を開始し、当時は小石川御薬園と 呼ばれていた。
約16万?の敷地に約4000種の植物を栽培。
現在は東アジアの植物研究における世界的施設としても活躍している。

★文京区白山3-7-1
法務史料展示室・メッセージギャラリー(千代田区)
明治28年(1895年)、ドイツ人建築家・エンデとベックマンが設計した法務省庁舎。

第二次世界大戦に消失したが、1994年に再建。
館内の一部は展示室として一般公開され、明治15年(1882年)に起こった板垣退助襲撃事件など、 貴重な資料を展示している。

★千代田区霞が関1-1 法務省赤れんが棟3階
江川太郎左衛門英龍終焉の地(墨田区)
品川台場の設計者及び建設責任者として指揮を取ったのが、砲術家でもあった 韮山代官・江川太郎左衛門英龍。

終焉の地となったこの場所では、ジョン・万次郎を長屋に住まわせ、英語や航海術の 指導にあたらせていたという。。

★墨田区亀沢1-3
北桔梗門(千代田区)
天守台から直接外部に通じるもんで、現在の皇居東御苑と北の丸公園の 間にある。

門を囲む内濠は他よりも深く、石垣も城内でもっとも強固な造りになっている。
門に架けられる橋も普段は跳ね上げられていて、いざというときの脱出路でもあった。

★千代田区千代田1-1皇居東御苑内
成就院(神奈川県鎌倉市)
江の島から鎌倉市街へ入る極楽寺切通の途中に立つ寺院。

奈良時代に弘法大師空海が護摩修法 を行ったという霊場跡に創建された。
御本尊の不動明王は非公開だが、境内に祀られている分身の不動明王像は 縁結びのパワースポットとして知られる。
門前から由比ヶ浜を一望する眺めは見事。

★神奈川県鎌倉市極楽寺1-1-5
東京都江戸東京博物館(墨田区)
約2500点の資料のほか、実物大の日本橋や芝居小屋など大型展示が 充実しており、当時の人々の暮らしを体感できる。

企画展も随時開催している。

★墨田区横網1-4-1
品川寺(ほんせんじ)(品川区)
江戸に入る6つの街道の入口に祀られた六地蔵。

品川寺の銅造地蔵菩薩坐像は、その第一番として、東海道を旅する人々の安全を 守るため、宝永5年(1708年)に造立された。

★品川区南品川3-5-17
回向院(墨田区)
明暦の大火で犠牲になった人々を弔うために建立された寺院。

明和5年(1768年)に初めて勧進相撲が行われてから相撲の中心地となり、明治後期に 旧国技館が完成するまで、春秋の定場所が興行された。
敷地内には歴代相撲年寄の慰霊のため、力塚の碑が立つ。

★墨田区両国2-8-10
北奉行所跡(千代田区)
文化3年(1806年)から幕末期まで北町奉行所が置かれていた地。

担っていたのは、町人地の行政や司法、警察職務。
遠山金四郎も天保11年(1840年)から執務をしていた。

★千代田区丸の内1-8
浄妙寺(神奈川県鎌倉市)
文治4年(1188年)に極楽寺という真言宗の寺として創建。

その後、臨済宗に改宗し現在の名に改名。
境内の茶室・喜泉庵には枯山水庭園が小名割り、「抹茶」648円〜が味わえる。

★神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-31
剣客商売(勝負)〜上富士前町
林の中へ迷い込んでしまったけれども、別に山の中ではない。

この林を突き抜けて行けば、おそらく駒込の上富士前町のあたりへ出るに相違なかった。
(それにしても、よい時候になった。
一年のうちで、まことに短い初夏の明け暮れは、たまらなく好いな)
例によって、短袖の着物に軽衫ふうの袴をつけ、竹の杖を手にした秋山小兵衛が椎の 木陰から歩み出した時、何処だかで、人の叫び声のようなものがきこえた。
(や・・・・・・何であろう?)
場所も場所、時も時だけに(徒事ではな)と感じた小兵衛は、叫び声がした方へ、 しずかに歩をすすめた。
東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)(千代田区)
明治17年(1884年)に着工し、完成まで7年もの歳月がかかったという聖堂。

設計は建築家ジョサイア・コンドルで、鐘楼の高さは約37.7mにも及ぶ。

★千代田区kんだ駿河台4-1-3
剣客商売(十番斬り)〜小田原
例によって、この日も、本所の亀沢町に住む町医者で小兵衛の親友である小川宗哲と、

(久しぶりに・・・・・・)
碁を囲むつもりで、宗哲宅を訪れたところ、
「先生は、相州・小田原の御縁類に祝い事がございまして、三日前にお発ちになられました」
と、医生がいった。
(やれやれ・・・・・・)
今日こそは、半月前の敵をとるつもりで出向いてきただけに、小兵衛はがっかりして帰途についた。
江知勝(文京区)(閉店)
江戸末期に肉問屋を始めた越後屋勝次郎が、牛肉のおいしい食べ方を広めたいと いう思いから明治4年(1871年)開業。

こだわりは代々女将だけに伝えられる秘伝の割下で、ひと晩寝かせた深みのある味わい。
全個室になっており、各部屋に中居がつくため、具材を最良の状態で味わえる。

★文京区湯島2-31-23
剣客商売(波紋)〜市ヶ谷八幡宮
市ヶ谷八幡への参詣も久しぶりのことであった。

この八幡宮は、太田道灌が江戸城の鎮護のために、摂州(大坂・兵庫など)・多田社の 神を勧請したのが始まりという。
社地は三千三十六坪におよび、石段をのぼりきった正面の拝殿、その他の堂宇は 杉木立に囲まれ、茶店や楊弓の店がたちならんで、
「季節もよし、天気もよし」
という、今日のような日には、門前の賑いも格別である。
高い石段を息も切らせずにのぼりきった秋山小兵衛は、拝殿の前へぬかずき、拝礼を すませ、
(あの一件については放り捨てておこう。)
旧岩崎庭園(台東区)
岩崎弥太郎が宅地を購入し、本邸を置いた地。

明治29年(1896年)、岩崎家三代久弥がジョサイア・コンドルに設計を依頼し、建造された。

★台東区池之端1-3-45
剣客商売(暗殺者)〜目黒不動
老人は沈黙した。

ここは、目黒不動・門前の「山の井」という風雅な料理屋の離れ屋敷である。
その日の朝。
秋山小兵衛は、牛込の早稲田町にある町医者・横山正元の家を出て、隠宅への帰途についた。
小兵衛は前日に、おはるへ、
「今日は、正元さんのところへ泊って来るから、そのつもりでな」
言い置いて、隠宅を出て来たのである。
心行寺(江東区)
深川七福神のひとつ、福禄寿を祀る。

境内には、江戸時代から縁結び地蔵として信仰を集める「影窓院地蔵」があるほか、江東区 最古の金石文である五重石塔も立つ。
「鬼平犯科帳」では、「盗賊人相書き」の話に心行寺住職の話が出て来る。

★江東区深川2-16-7
剣客商売(二十番斬り)〜木母寺
おはるが泣き顔で飛び出して行った。

いつも使いを頼む木母寺・境内の茶店へ駆けて行ったのだ。
小兵衛は両眼を閉じ、横向きに寝ている。
いつものように仰向けの姿勢で寝たら、吐き気をもよおしたからである。
(この目眩は、何であろう?)
わからなかった。
昨夜までは自分の老体に何の異常もみとめられなかったのだ。
東京文化会館(台東区)
昭和36年(1961年)、ル・コルビュッジエの弟子・前川國男が設計。

染み綱設計によるホールは「奇跡の音響」として世界的に知られている。

★台東区上野公園5-45
剣客商売(浮沈)〜浅草寺
「よろしい。

私が、あなたに代わって滝久蔵に、つきそってあげよう」
助太刀を引き受けたのである。
「久蔵は、そうしてるか・・・・・・?」
いま、小兵衛が想いにふけっているのは、このことであった。
というのは、この夏の或る日に、浅草寺の境内で偶然、神谷新左衛門と出会ったからだ。
神谷は、小兵衛同様、辻平右衛門に教えを受けた老剣士で「同門の酒」の一篇に神谷の ことをのべておいた。
ないしょ ないしょ(板橋宿)
板橋から江戸の日本橋までは二里八丁。

お福は先ず、板橋の宿駅の雑踏に度肝を抜かれた。
「中山道の首にして、往来の行客常に絡繹(人や車の往来が絶え間なく続く事、らくえき) たり。
旅籠屋、酒舗、軒を連ね、繁盛の地なり」
と、物の本に記してあるように、土埃をあげて行き交う人馬の数にもおどろいたが、 道行く人びとの、 物に憑かれたように忙しくうごきまわるありさまや、宿場の男も女も高声をあげて、 しゃべり合う言葉など、早口でさっぱりわからぬ。
はじめは喧嘩でもしているのではないかとおもったほどだ。
宿場の中ほどに川がながれていて、橋が架かっている。
江藤新平君遭難遺址碑(千代田区)
維新の十傑に数えられる江藤新平。

明治2年(1869年)、藩政改革で恨みを買い、同胞の佐賀藩士に襲撃される。
一命は取り留めたが政府に衝撃を与えた。
その後、不正士族に担がれ佐賀の乱を起こし斬首となるが、名誉回復のため、 大正5年(1916年)に石碑が建立された。

★千代田区霞が関3-8
旧・越前鯖江藩間部(まなべ)家下屋敷跡(品川区)
大老・井伊直弼の下で老中に登用され、安政の大獄の指揮を執った越前鯖江藩主・ 間部詮勝(あきかつ)の下屋敷跡。

もともとは陸奥仙台藩伊達家の下屋敷が建っていた。

★品川区東大井4-3
鬼平犯科帳(七)(小田原)
小田原・宮ノ前の旅籠「伊豆屋又六」方へ泊った翌朝、

たのんでおいた馬が来たので、庄右衛門が伊豆屋の表口へあらわれ、馬子にたすけられて馬の背へ乗ったとき、
「あっ・・・・・・」
伊豆屋のとなりの「万年屋」という旅籠から出て来た商人風の二人の旅人が驚きの声をあげた。
馬上からふり向いた庄右衛門が、
「おう、定七と市之助じゃあないか。
梅ヶ島へ私を迎えに行くところだったのかえ」
新正堂(港区)
大正元年(1912年)創業の老舗和菓子店。

一体が、浅野内匠頭が切腹した田村右京太夫の上屋敷跡であったことから、「切腹最中」を考案。 純度の高い砂糖を厳選し、求肥を包んだ餡は後味さっぱり。 「義士ようかん」1本240円〜も人気。

★港区新橋4-27-2
吉良邸跡(墨田区)
1702年(元禄15年)12月14日に、赤穂四十七士の討ち入りが欠航された吉良上野介 義央の邸宅跡。

現在は本所松坂公園として開放されており、広さも当時の広大な邸宅の76分の1ほどに なっている。
園内には吉良邸内にあったという「吉良首新いの井戸」や稲荷神社があり、関係資料を見ることもできる。
東京洋菓子倶楽部ドルチェ(中央区)
モンブラン、限定80個のシュークリームなどが人気のケーキショップ。

季節限定のアップルパイなど、旬のおいしさにこだわっている。
年3回のケーキ講習会を心待ちにしているファンも多い。
24席のサロンではお茶も楽しめる。
江戸たいとう伝統工芸館(墨田区)
2階の展示フロアでは銀器、指物、木彫など、台東区の職人による伝統工芸品が 見られる。

1階では企画展や制作の実演を行い、銀星指輪などの手作り教室も随時開催。
そばにある分館では、販売も行っている。
平成9年7月オープンの比較的新しいスポットだ。
桐生堂(江東区)
1876年(明治9年)より組紐を手掛けてきた工房が、平成11年3月、門前仲町に店を 構えた。

手染めの組紐は、6000円から揃っており、紐の切り売りも行っている。
このほかにも帯染めや、手染めの布を使ったのれんやポーチなど、素朴なぬくもりを感じさせる 和装小物も充実。
東照宮社殿(台東区)
1651年(慶安4年)に建立。

本殿、幣殿、唐門により成る。
江戸趣味小玩具仲見世助六(台東区)
仲見世に店を構えて130余年。

江戸趣味小玩具の歴史は古く、8代将軍徳川吉宗の時代から作られるようになった。
小さくても精巧な作りの玩具ひとつひとつは、健康や幸福を願う意味を持っている。
銀座 若松(中央区)
1894年(明治27年)にお汁粉屋として創業した老舗の甘味処。

昭和5年にあんみつを考案し、連日行列が絶えないほど評判となった。
今も変わらない味を守るあんみつゃ、伊豆七島産の寒天の歯応えと、北海道産の 小豆を使った自家製あんのハーモニーが絶妙だ。
豆富料理 笹乃雪(台東区)
300年の歴史が誇る豆富料理専門店。

初代店主が江戸で初めて絹ごし豆腐を作った際に、「笹の上に積もる雪のような美しさ」と 称賛されたことから、この店名が付いた。
以来、厳選された素材と良質な地下水を使って、伝統的な製法で作られる豆腐を多彩にアレンジ した料理を提供。
その味は、多くの文人たちに愛された。
特製のタレをかけた名物のあんかけ豆腐とかけ醤油豆富、雲水豆腐の3品コースは、さらに 碑竜頭、うの花、胡麻豆腐が付いた6品コースも人気が高い。
豆富尽くしの料理に加えて、豆富ワインでしめたいところ。
江戸みやげ屋・たかはし(江東区)
ちょんまげかつらに半纏姿の店主は、サービス精神たっぷり。

皿まわしやヨーヨー、けん玉、コマなどを店頭で実演してくれる。
南京無双玉すだれ、知恵の輪など、この店主手製の商品もある。
おもちゃのほか、特製ソースのもんじゃ焼せんべいも。
銀之塔(中央区)
歌舞伎座の近くにあるシチュー専門店。

じっくり煮込んだ自慢のシチューは、ビーフ、タン、野菜、ミックスの4種類。
すべて土鍋で出され、和風総菜の小鉢3品と自家製漬け物、ごはんがセットになっている。
鉄筋の倉庫を改装した店内は、洋風の外観とは対照的に、調度品なども和風にまとめられ落ち着いた 雰囲気。
桃林堂(台東区)
創業は昭和初期だが、明治時代に建てられた天保はこのエリアの名所にもなっている。

ゆず、なし、にんじん、ごぼうなど、果物と野菜を砂糖漬けした五智果と、上質の小豆を使った あんが入った小たい焼きが名物。
喫茶スペースで抹茶といっしょに味わいたい
おいもやさん興伸 巣鴨店(豊島区)
明治創業の芋問屋が経営する店。

一番人気の大学芋は、全国各地の芋の中から、その季節で最も甘くておいしいものを吟味して 使う自慢の一品。
素材のうま味を引き立てる、代々伝わる家伝のみつもじっくりと味わってみたい。
素朴な甘さと柔らかな触感で人気のスイートポテトもおすすめだ。
空也(中央区)
1884年(明治17年)に上野池之端で開業した老舗和菓子店。

昭和24年、現在地に移転した。
四季折々の生和菓子が揃うが、皮を焦がした空也最中はすぐに売り切れてしまうほどの人気。
初代の主人が、9代目市川團十郎宅で火鉢であぶった最中をすすめられたのをヒントに考案した 逸品だ。
常磐堂雷おこし本舗(台東区)
ピーナツやゴマ、抹茶など、バラエティ豊かな雷おこしが、浅草みやげとして大人気。

創業から200年以上続く味。
人形焼やせんべいもある。
黒田屋本店(台東区)
和紙本来の美しさを引き出したさまざまな商品が揃う。

サイズも模様も豊富な和紙や千代紙のほか、200種類のハガキやレターセット、版画、凧など。
ひな人形や五月人形、風鈴、オリジナルうちわ、カレンダー、干支人形など、季節に合わせた 商品も多い。
雷門の真横にある。
徳田秋声旧宅(文京区)
明治38年(1905年)から昭和18年に死去するまで住んでいた。

平成4年に解体修理が完成している。
黒船稲荷(江東区)
「東海道四谷怪談」で知られる

鶴屋南北が勉年を過ごした地。
とげぬき地蔵尊 高岩寺(豊島区)
「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる、素朴な雰囲気の商店街。

巣鴨駅から都電荒川線の庚申塚駅まで、約800mにわたって各種の専門店や飲食街が軒を 連ねている。
なかでも、たい焼きが名物の飛安や、江戸前の佃煮を今に伝える佃宝など、味覚に関する名店が 多いのが特徴だ。
通りとしての歴史も古く、江戸時代に中山道と呼ばれていた時代から、高岩寺の門前町として 栄えてきた。
大高源吾句碑(墨田区)
吉良邸の動向を探っていた俳人の赤穂浪士、太田源吾が松尾芭蕉の弟子、宝井其角と 交わした句の碑が両国橋のたもとにある。

源吾の句は、其角が詠んだ「我が雪と思えば軽し笠の上」に対する返句。
黒船亭(台東区)
もともとはフランス料理店としてスタート。

現在はフレンチをベースに、日本人向けにアレンジした洋食メニューを提供する。
人気はスペシャルハヤシライス。
時間と手間をかけたドミグラスソースは、素材のうま味を存分に引き出す。
シチューセット、ステーキ丼セットなどもおすすめ。
どぜう飯田屋(台東区)
平成10年に50年ぶりに改装したが、店内は明治時代の下町ムードそのまま。

藤敷の入れ込み座敷で、熱々の鍋をつつきたい。
名物のどぜう鍋は食べやすい骨抜きと、そのままの丸鍋の2種類。
サラリーマンや職人から、芸能人、政治家まで幅広い客層が利用する。
鷲神社(台東区)
毎年11月の酉の日に。

行われる酉の市が、広く親しまれている。
源覚寺(文京区)
「こんにゃくえんま」と。

呼ばれる尊像が、眼病治癒祈願で有名。
岡倉天心宅跡(文京区)
近代日本美術の先覚者である彼の暮らした場所。

岡倉天心公園内。
源空寺(台東区)
伊能忠敬をはじめ、

江戸時代に活躍した有名人の墓が多くある。
富岡八幡宮(江東区)
創建は寛永4年(1627年)。

毎月1,15,28日の縁日を中心に多くの参詣者で賑わう。
8月半ばの例祭は、神輿をかつぐ人に沿道の人が清め水を浴びせることから「水掛け祭り」とも いわれ、江戸三大水祭りのひとつとして名高い。
ことに3年に1度の本祭りは、大小120基を超える神輿が繰り出す。
御菓子処 扇屋(文京区)
東大赤門前にある和菓子店。

明媚値はきなこをまぶした「赤門もち」。
パイ皮にアンズの蜜漬けが入った「いちょうの舞」、焼き菓子の「御守殿門」といっしょに詰め合わせた 「文学散策」は、本郷周辺の文学にまつわる名所・旧跡のイラストマップ付きだ。
元禄二八そば処 両国 玉屋(墨田区)
コシのあるそばは、旭川産の良質のそば粉を長時間かけて練り上げたもの。

本節や日高昆布で作るつゆの香りを楽しみながらいただきたい。
天ざる、ゴマだれそばのほか、玉屋定食、義士御膳など。
生そばやそば稲荷のテイクアウトも利用可。
鳥越神社(台東区)
東国平定の際この地に滞在した日本武尊の威徳をしのんで、651年(白雉2年)、白鳥 明神を奉納したのが創建の由来。

毎年6月9日前後の日曜の夜祭が有名で、千貫(約4t)もの重量のある神輿が、町中を練り歩く 様子が見られる。
1月8日には、正月のしめ飾りなどを焼くとんど焼も行われる。
岡満津(江東区)
1905年(明治38年)創業の和菓子処。

1923年(大正12年)に新聞で公募した深川八景と短歌を最中に刻印した「八景最中」が 名物で、つぶ、こし、白あんとも1個160円。
青梅がまるごと1個入った梅ひとくち、ゆずの香りをきかせた黄身あんの桃山など、四季の 銘品が揃う。
小石川植物園(文京区)
大塚にあった北薬園(徳川幕府薬園)の廃止に伴い、1864年(貞享元年)に麻布 南薬園を小石川の地に移したのがこの植物園の始まり。

園内にはおよそ1500種の樹木と、1400種の熱帯・亜熱帯の温室植物が栽培されている。
都立小石川後楽園(文京区)
1629年(寛永6年)、水戸徳川家の祖・頼房がその中屋敷として造園を開始し、2代目 光圀のときに完成。

後楽園の名は、中国の書物「岳陽楼記」にある「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」 から名付けられた。
宝来島と徳大寺いしを配して湖の景色を造り出している「大泉水」の周囲には散策コースも。
お米ギャラリー銀座(中央区)
お米に関する情報を提供するショールーム。

持ち帰り自由の料理カードは、ごはんを使うアイデア料理の調理法が紹介されており好評だ。
また午前11時からの食のコーナーには、マグロ刺身、イカソーメン、錦糸玉子がのった「ごはん 党丼」などの人気メニューが揃う。
江東区芭蕉記念館(江東区)
俳人・松尾芭蕉は1680年(延宝8年)以降、深川の草庵を拠点に創作活動を展開 したことで知られている。

そんな芭蕉ゆかりの地に建つこの記念館では、書簡や短冊与謝蕪村筆の芭蕉座像図などの 関係資料を展示。
庭園には芭蕉が詠んだ草木が植えられている。
芭蕉翁像が立つ分館もある。
鳥つね湯島天神前(文京区)
秋田比内鶏、名古屋コーチン、茨城の奥久慈シャモの三大美味鶏を独自の産地直送ルートで 仕入れ、すきやきのスープ炊き、一品料理などで味わえる。

また、地鶏と卵、割下が絶妙な味と香りを生み出す親子丼が今と変わらぬ人気メニューだ。
コーヒー乱歩(台東区)
店名のとおり、マスターは代の江戸川乱歩ファン。

山小屋風の店内には静かにジャズが流れ、居心地のいい空間を作っている。
常連客も多く、内田康夫の「上野谷中殺人事件」に出て来る蘭歩亭はこの店がモデルとか。
おりがみ会館(文京区)
1859年(安政5年)に創業した和紙専門店。

今も伝統の手染めで和紙を作り、職人の鮮やかな技を見学することもできる。
ビルの2階がしょっぷになっており、およそ2万点もの和紙になっており、華やかな江戸千代紙、 京友禅、和紙を使った小物や民芸品が豊富に揃う。
和紙人形や和紙工芸などの教室も開かれる。
国技館(墨田区)
ちゃんこ店が軒を連ね、力士の像が建ち並ぶ相撲のメッカ・両国のシンボル的存在。

1月、5月、9月の大相撲東京場所は、是非生で観戦してみたい。
国立科学博物館(台東区)
平成11年4月、参加体験型フロアや海洋生物と恐竜のフロアなどが入った 新館がオープンした。

自然や化学、宇宙をテーマに、ジオラマやさまざまな装置を駆使して遊びながら楽しく学べる。
ほかにも大型恐竜の実物大標本など見どころたっぷり。
国立西洋美術館(台東区)
モネ、ドガ、ルノワール、ピカソ、ゴッホなど、著名な芸術家の作品をはじめ、フランスの近代 絵画や彫刻など、ルネサンス以降20世紀初頭までの美術作品を多数展示。

なかでもロダンの作品群は世界的規模の収集を誇る。
後藤の飴(荒川区)
創業は1922年(大正11年)。

自家製飴と手作り菓子を販売する。
レパートリーは100種類以上という飴はすべて天然の素材を使い、ハッカ飴以外は全て無着色。
ニッキ飴は、のどの調子が悪い時に効果あり。
たんきり飴や鼻すーすーあめなども人気だ
言問団子(墨田区)
この店の言問団子は、元禄の頃、付近を散策する人たちに施した手製の団子が名物となったもの。

味噌あんをぎゅうひで包んだ青梅と、しん粉が入った白あん、小豆あんの3酒類で1セットだ。
お店で食べてもいいが、おみやげ用も利用可能。
6個入から60個入まであり、杉箱入りもあるので便利。
寿堂(中央区)
創業は1884年(明治17年)。

季節の生菓子、干菓子を手掛け、黄金芋で有名だが、実はこれには芋はいっさい使われていない。
黄身あんを小麦粉と卵で作った皮で包み、ニッキをまぶしたもので、外見はまさしく焼き芋といった 職人芸。
日持ちがよくおみやげにも向く。
古奈屋(豊島区)
カウンターのみ12席の店内はいつでも満員で、昼時には外に行列ができるほど。

その日の分を毎朝打つうどんは、細さと強いコシが特徴だ。
人気のカレーうどんは、素材の形がなくなるまでじっくり煮込んだルーのうま味が、うどんの味を引き立てている。
駒形堂(台東区)
広重の錦絵などにも描かれた江戸の名所。

現在の堂は昭和8年再建。
駒形どぜう(台東区)
江戸時代、高価なウナギの代用として庶民に高い人気を誇ったのが、安くて栄養価の高い ドジョウ料理。

創業当時から変わらぬ味のどぜうなべは、今でも庶民から著名な文化人にまで幅広く愛されている 下町の味だ。 食べ方も江戸時代さながら、金板と呼ばれる檜板の上に鉄鍋をのせた火桶を置き、炭火の熱で ドジョウを煮込む。 酒の肴には、ウナギよりも柔らかくさっぱりといただけるどぜう蒲焼きなどはいかがだろう。 また、一度にいろいろな料理を試したい向きには、どぜうなべ、柳川、どぜう汁がついた どぜう定食など、セットものも充実している。
藍染博物館(墨田区)
藍染の型紙や染め上がった生地、浴衣、半襟などを展示。

ハンカチの絞り染め体験もできる。
神楽坂(新宿区)
明治・大正時代に花街として栄え、夏目漱石や文人もたびたび通った雅やかな繁華街。

路地や石段、石畳道が点在する坂の町を、彷徨うように散策したい。
仲見世(台東区)
雷門をくぐると、両側には江戸時代を思わせる店がずらり。

店内にはかんざし・和傘・扇子・下駄など「日本」を感じる雑貨がいっぱい。
懐かしい味わいの和菓子も豊富。
芭蕉庵跡・芭蕉稲荷神社(江東区)
1919年(大正8年)に芭蕉ゆかりの石蛙が出土した。

芭蕉庵の跡と推定されている。
宮城道雄記念館(新宿区)
筝曲「春の海」などの作曲者、宮城道雄の記念館。

閑静な住宅街にあり、宮城が晩年を過ごした住居も見学できる。
矢切の渡し(葛飾区)
対岸の松戸市矢切との間を結ぶ渡し船。

小説「野菊の墓」の舞台として有名。
「日本の音風景100選」の一つ。
六義園(文京区)
徳川5代将軍綱吉の御容認・柳沢吉保が7年がかりで築いたという築山泉水回遊式庭園。

約8万7810?の園内は、中之島と蓬莱島を浮かべた池を、深い木立の築山が取り囲み、その中の 散策路を歩くようになっている。
「万葉集」や「古今和歌集」に詠まれた、日本名勝88景もあり、藤代峠からの眺めは最高。
梅・椿・佐倉・つつじが咲く春、紅葉が燃える秋は、さらにすばらしい。
秋葉原(千代田区)
江戸三大祭りの古社や学問所、境界、古い街並みなど、変化に風景が楽しめる。 

最後は万世橋を渡ってホビーと電気の町へ。
かちどき 橋の資料館(中央区)
昭和15年架橋の勝鬨橋(重文)の変電所を使った資料館。 

変電パネルやモーターなどが残る館内に、勝鬨橋のほか隅田川に架かる橋の資料を展示。
慈眼寺(豊島区)
文学史に名を残す小説家・芥川龍之介の墓がある。 

長男・芥川比呂志(俳優・演出家)も眠るその墓所への入り口には、小説家・谷崎潤一郎の分骨墓、 少しお国は銅版画の創始者・司馬江漢の墓もある。
台東区立下町風俗資料館(台東区)
1階には花緒の製造卸問屋の帳場と作業場を再現。 

路地裏には長屋も再現されていて、それぞれの生活用具や調度品を配置。
どちらも上がって下町の生活を偲ぶことができる。
2階は上野公園や浅草六区に関する資料、生活用具や玩具、下町関連の資料などを展示。
波除稲荷神社(中央区)
築地一帯を埋め立てていた万治(まんじ)年間、海に漂っていた稲荷神像をまつって 神社を創建。 

厄除けや航海安全の神として崇められてきた。
境内に海老塚・すし塚・玉子塚などの慰霊塚が立っている。
芭蕉庵史跡展望公園(江東区)
隅田川を一望する高台に小さな庭園があり、 

芭蕉の坐像が置かれている。
妙行寺(豊島区)
「東海道四谷怪談」のモデルになったお岩の墓がある寺。

元は四谷鮫ヶ橋にあり、1909年(明治42年)に寺も墓もここへ移された。
赤穂藩浅野家の墓もあり、魚がし供養塔とうなぎ供養塔も立っている。
北区以外のお気に入り
・松江・玉造の犬夜叉松江ツアー

・刀屋

・妙福寺は、千葉県銚子市妙見町にある日蓮宗の寺院。
山号は海上山。
境内に妙見菩薩を祀る妙見宮があることから町名の由来となり、また藤の寺としても知られる。

・韮山反射炉

・旧岩崎邸

・白山神社

淡路坂(千代田区)

六義園

団子坂(文京区)

浅草羽子板市

男鹿

池上本門寺(大田区)

亀戸天神

西光寺(池波墓)

浅草寺羽子板市

白山神社(文京区)

池波文庫(台東区)

六義園

築地本願寺(中央区)

浅草寺(台東区)

長命寺(墨田区)

亀戸(江東区)

茶ノ木神社(中央区)

根津神社

白山神社(文京区)

佃島(中央区)

六義園(文京区)

哲学堂(中野区)

酉の市

天野屋(千代田区)

根津神社

伝通院(文京区)

根津神社

田安門(千代田区)

六義園

田宮神社(新宿区)

六義園

酉の市

刀屋(長野県上田市)

亀戸天神

東福寺(豊島区)

根津神社

汐入(荒川区)

白山神社

湯河原(神奈川県)

六義園

板橋火薬製造所

南千住

亀戸天神

目赤不動尊(文京区)

根津神社

南町奉行所跡・JR有楽町駅中央口(千代田区)

白山神社

日枝神社(千代田区)

六義園

日比谷公園(千代田区)

王子新道の碑(板橋区)

日比谷図書館(千代田区)

亀戸天神

日本橋(中央区)

浅草羽子板市

根津神社

入谷鬼子母神(台東区)

白山神社

波除神社(中央区)

六義園

板橋区