北区以外のお気に入り(五)


鬼平犯科帳(八)(春慶寺)
それから4日後の夕暮れになって・・・・・・。

江戸東郊・押上村の春慶寺内に寄宿している剣・岸井左馬之助をたずねて、明神の 次郎吉があらわれたものである。
もとより次郎吉は、これまでに左馬之助を見たこともない。
したがって、左馬之助が、いま江戸市中の盗賊どもが恐れぬいている火付盗賊改方の 長官・長谷川平蔵の親友であるなどとは、夢にもおもっていなかった。
次郎吉ただ、4日前に夜の前田原で自分にみとめられながら息を引き取った老僧・宗円に たのまれた遺品を、岸井左馬之助へとどけに来たのである。
遺品は、藤四郎吉光の短刀であった。
東京理科大学近代科学資料館(新宿区)
小説「坊ちゃん」の中で、主人公が通学した東京物理学校(現在の東京理科大学)。

当時の建物を復元しており、まるで小説の世界に迷い込んだような趣き。
館内では計算機や録音技術の歴史を紹介する展示やレトロな機器などが見られる。

★新宿区神楽坂1-3
鬼平犯科帳(九)(池上本門寺)
武蔵の国・荏原郡・池上村(現東京都大田区池上1丁目)にある長栄山・本門寺は、 日蓮宗大上人終焉の古跡で、弘安5年の開創だという。

小高い丘の全てが境内といって良く、6万7千6百坪と言われ、法華宗本化一宗正統の霊場だ。
現在も・毎年10月12日の御会式には、纏を先頭に何百何千という信者が打ち鳴らす「うちわ 太鼓」と万灯の行列が、引きも切らずに本門寺へのりこむさまは、実に盛大、壮観である。
御会式というのは、700年も前に亡くなった日蓮上人に会えるという、つまいり上人の忌日法要のことだ。
平蔵と録之助は、本門寺・総門そばの、わらぶき屋根の「弥惣」という茶店へ入る、先ず、 足を休めた。
江戸東京たてもの縁(小金井市)
小金井公園内に拡がる野外博物館で、江戸東京博物館の分館にあたる施設。

江戸時代から昭和中期までの商家や銭湯など30棟を移築・復元している。
鬼平犯科帳(十)(両国橋)
長助は、両国橋へ出る手前の店屋で、ぶら提灯を買った。

長助の顔が、ほんのりと赤い。
大黒屋の二階座敷で寝そべり、ゆっくりと二合ほど酒をのんだあとで、貝柱のかき揚げを 浮かせた天ぷら蕎麦を2つも食った。
なかなかどうして、長助はぜいたくなことをしているのである。
(どうせ、もう長えことはねえのだから、生きているうち、せめて飲み食いだけは好きにしてえな」
だから、ふところへ入った金を長助は出し惜しまなかった。
日中に、上野山下で掏り取った財布の中味は二両二分ほどあった。
宮殿・東庭(千代田区)
長さ160mにも及ぶ長和殿の前にある広場。

その広さ約4500坪。
足下の石畳には、四国香川県産の安山岩を使用している。
新橋 末げん(港区)
内閣総理大臣・原敬や歌舞伎役者の六代目菊五郎など著名人が多く通った鳥 割烹店。

とり鍋料理「わ」のコースは、鶏の旨味が凝縮した鶏ガラスープを堪能できる 自慢の品。
格式高い店ながら、より多くの方に料亭の味を気軽に味わってほしいとはじめた「かま定食」 など手軽なランチも評判だ。
三島由紀夫は自決前最後の夜、楯の会メンバーと訪れた。
「わのコース」13000円を食したという。
鬼平犯科帳(十二)(回向院)
この日。

金三郎は単独で担当の本所界隈を見廻り、八つ(午後二時)ごろに、回向院の境内へ 入って行った。
諸宗山(しょしゅうざん)無縁寺・回向院は、明暦三年の江戸大火の折、焼死した十万 八千余人を埋葬し、増上寺二十三世貴屋(きおく)上人をもって回向せしめた。
これがはじまりである。
寺田金三郎は本堂の前へ行き、編笠を脱いで礼拝し、
(一日も早く、兄上の敵・鹿熊の音蔵とめぐり合えますよう・・・・・・)
と、祈った。
同心番所(千代田区)
大手門をはいるとほどなく大手三之門跡の石垣とその奥に同心番所が 現れる。

往時は門の手前に濠があり橋が架かっていたが、番所はもともと橋の手前にあった。
尾張、紀伊、水戸の御三家以外の大名はおこで籠を降り、同心の検問を受けなければ ならなかった。
鬼平犯科帳(十三)(市ヶ谷)
この尾張屋敷の跡が、現在の自衛隊市ヶ谷駐屯部であり、戦前は陸軍士官学校になっていた。

合羽坂の由来について、物の本に、
「・・・・・・昔時、この坂の東南には蓮池と称する大池あり。
雨夜など、獺しばしば出たりしを、里人誤りて河童と思いしより、坂の呼び名となりしが、 後に転じて合羽の用い来たりしという」
などと、記している。
お節は、谷間のような市ヶ谷片町へ下る急坂をすぎた。
右手は、こんもりとした木立ちで、左手は尾張屋敷の塀が延々とつづいている。
江の島(神奈川県)
葛飾北斎や歌川広重の浮世絵にもたびたび描かれた一大観光スポット。

景色の美しさに加え、江島神社に祀られている弁財天や勝運や商売繁盛の神として 信仰を集め、江戸時代には多くの参拝客が訪れた。
現在でも当時の賑わいを感じさせる飲食店が立ち並び、多くの観光客が訪れる。
鬼平犯科帳(十四)(巣鴨)
滝野川の現場から、さほどに遠くはない巣鴨の枡形横丁に伊三郎という御用聞きがいる。

四十二は二つ三つ間がある年齢だが、父親の代から、
「お上の御用をつとめている・・・・・・」
だけあり、土地の評判もよく、温厚な男だ。
長谷川平蔵は、この伊三郎を、よく知っている。
というのは、それ、巣鴨の大百姓・当主の仙右衛門は平蔵の従兄にあたる。
双方ともに親しく往来をしているし、平蔵は御用聞き伊三郎に、従兄の家で会ったことがある。
鬼平犯科帳(十五)(雑司ヶ谷鬼子母神)
生垣の向こうの鬼子母神・境内の鬱蒼たる木立ちを吹き抜けて来る風が冷たい。

ねっとりと肌に浮いた脂汗が、たちまちに吹き払われるような心地がした。
夢の中の、大鴉のような黒い剣客を現実に見てから、半年に近い月日が経過している。
半年前のあの夜以来、平蔵は何度か、同じような夢に魘されてきたのだ。
「お妙。
汲みたての水を、たっぷりとたのむ」
気を変えた平蔵が、いつものような笑顔を取り戻していうと、お妙は救われたように母屋の方へ 小走りに去った。
隅田公園(墨田区)
水戸藩下屋敷があった地に広がる講演で、その遺構を生かした庭園が見事。

一角には水戸藩主徳川斉昭の側近として活躍した藤田東湖の詩碑がある。
東湖は水戸藩士でありながら幕府からの信任が厚く、海岸防御御用掛も務めていた。
鬼平犯科帳(十六)(富岡八幡宮)
やがて、日が暮れた。

西村の酒は、相当に強い。
平蔵は酒をのんでから、腹ごしらえまでしてしまった。
今日の西村は、船頭の女房と逢引をするつもりではないらしい。
とっぷりと暮れてから、増半を出ていった。
平蔵も、これにつづいた。
ぶらぶらと、西村は、堀川に架かった橋をいくつも渡り、やがて、富岡八幡宮の門前へ来ると、 八幡宮・正面の広場の一隅にある葦簀張りの田楽やへ入った。
鬼平犯科帳(十七)(巣鴨)
この日の前日に、長谷川平蔵はぶらrと役宅を出て、巣鴨村の大百姓・ 三沢仙右衛門宅へおもむいた。

三沢家は、平蔵の実母お園の生家である。
平蔵の亡父宣雄が長谷川家の跡をつぐことになり、正妻を迎えたため、平蔵は実母と共に 三沢家へ身を寄せ、十余年をすごした事情はすでにのべてある。
えおのころ、平蔵に慈愛をかけてくれた祖父母も実母も、いまは世に亡い。
現在の三沢家の当主で、何代目かの仙右衛門は平蔵の従兄にあたる。
長谷川家と三沢家の交誼は絶えず、仙右衛門は江戸市中へ出てくるたびに役宅へ 立ち寄るし、季節の野菜などを大量に送り届けてくれたりする。
平蔵も、一年のうちに二、三度は三沢家を訪ねた。
円通寺(荒川区)
上野の寛永寺黒門が移築されている古刹。

彰義隊士の墓のほか、鳥羽、伏見、会津、函館で戦死した幕府方の志士を弔う 「死節の墓」もある。
旧安田庭園(墨田区)
五代綱吉の生母・桂昌院の弟で、笠間藩主・本城宗資(むねすけ)の下屋敷に 造られた庭園が今も残る。

明治24年(1891年)に安田財閥の創始者・安田善次郎の所有となり、その後東京市に 寄付された。
鬼平犯科帳(十八)(目黒不動)
(さて、何処から見廻ろうか・・・・・)

今日からは、また、連日の見回りに出るつもりであったから、
(今日はひとつ、平常、目がとどかぬところへまいってみよう)
そこで、おもいたったのは、目黒の不動堂への参詣であった。
つまり、目黒不動への往復が、今日の見廻りということになる。
江戸開府の頃は、草深い田舎の、小さな堂宇にすぎなかった目黒不動も、三代将軍家光の 尊崇をうけて再興され、いまは三十余の堂塔をもつ大霊場となり、江戸市民の崇敬を うけている。
門前五、六町の間は、貨(あきない)商店や料理屋が軒を連ねており、名物は筍飯に 黒飴・粟餅だ。
鬼平犯科帳(十九)(愛宕神社)
この愛宕権現は、人も知る江戸四ケ寺の一つで、胸を突くような男坂の石段を のぼりつめたような愛宕山上の境内へ立つと、

「見下ろせば三条九陌の万戸千門は、甍をつらねて所せく、海水は渺焉とひらけて、 千里の風光を貯へ・・・・・・」
と、物の本に記してあるように観光、参詣の人々が絶え間もない。
この江戸名所の愛宕権現社い密集している水茶屋の女たちは、いずれも化粧をこらし、 客を待つわけだが、裏へまわっての売春も、まことにさかんなのだ。
居付きの水茶屋も門前にはあるが、愛宕山の女坂をのぼりきったあたりのそれは、 ほとんど葦簀張りの小屋掛けであった。
日が暮れるまでの商売なのである。
日が暮れるまでの商売なのである。
すみだ北斎美術館(墨田区)
葛飾北斎の作品など約1800点の浮世絵を所蔵している。

北斎の作品のほか、北斎のアトリエを再現した模型や作品を解説するタッチパネルもある。
時の鐘(川越市)
二代目川越藩主・酒井忠勝に寄り寛永年間(1624〜1644)に建造。

依頼川越の庶民に時を告げ、シンボルとして親しまれて来た。
冤罪の建物は明治26年(1893年)の川越の大火の翌年に再建された物。
「残したい日本の音風景百選」にも選ばれている風情ある音を聞き逃しなく。
気ままな絵筆
上野の山内へ立てこもった彰義隊の一人と官軍が松平邸内へ入って来て、 斬り合いとなったのを浜が目撃したのは、このときであろう。 曾祖母は子供の私を連れて、銭湯の帰りに蕎麦屋へ寄り、天ぷら蕎麦で一本の酒を手酌でのみながら、
「そりゃあ、人と人が斬り合うというのは、活動写真のようにはいかないよ。
刀を向け合って、お屋敷の井戸のまわりを、じりじりとまわりながら、それこそ一刻(二時間)の 余もにらみ合っていたものだが、そのうち、ぴかっと刀が光ったと思ったら、官軍のやつが斬られて、 へなへなと倒れてしまったのだよ」
などと、私に語った。
このはなしを何度きかされたか知れたものではないが、曾祖母は自分の若いころのことを何も私に語ってくれなかった。
経王寺(荒川区)
明暦元年(1655年)に創建された古刹。

上野戦争で敗走した彰義隊をかくまったことで新政府軍から攻撃を受けた。
門番所と天保7年(1836年)建立の山門には当時の弾痕があり、戦争の激しさを 物語っている。
鬼平犯科帳(二十一)(目黒)
その日。

火付盗賊改方の同心・細川峯太郎は非番であった。
「二度ある事は」の事件以来、細川同心は、ふたたび勘定方へもどされてしまい、 溜部屋の奥の一間で、筆紙と算盤を相手に、役宅から一歩も出ずに御役目をつとめている。
あの事件で、むしろ、細川は手柄を立てたわけだが、その端緒となったのは、彼がいまだに 目黒・権之助坂の茶店の寡婦お長への未練を断ち切れず、おのれが受け持ちでもない 目黒へ、のこのこと出掛けて行ったことによる。
聖蹟公園(品川区)
品川宿の本陣跡。

聖蹟公園の名は、明治元年(1868年)に明治天皇が京都から東京へ移った際、宿舎(行在所) が置かれたことにちなむ。
鬼平犯科帳(二十二)(回向院)
そのころ・・・・・・。

長谷川平蔵は一ツ目の右を右へ曲がり、回向院・門前の明るい灯火の中を抜け、 幕府の御竹蔵の裏通を北へ歩んでいる。
やがて、大川端の道へ出た。
左はまんまんたる大川をへだてて、幕府の御米蔵、浅草の町々の灯りが見えるが、 道の右側は武家屋敷の塀が長々とつづいているのみだ。
夜ともなれば、このあたりを歩む人影とてない。
何処かで、しきりい夜鴉が鳴いた。
富岡八幡宮(江東区)
寛永4年(1627年)に創建された江戸最大の八幡宮。

徳川将軍家から手厚い庇護を受け、社殿の修理なども将軍家により行われた。
当時から門前町が大いに賑わい、平蔵もたびたび訪れたという。
境内には横綱力士碑など、史跡も点在している。
鬼平犯科帳(二十三)(板橋宿)
おたねの亭主・由次郎は、板橋宿で古着屋をしていたが、二人の子供を残して死んで しまったので、おたね一人ではどうにもならぬ。

そこで、叔父の久助に板橋へ来てもらい、引きつづいて古着屋の商売をしてもらいたかったのだ。
久助は、
「女なんて獣は、もう真っ平でございますよ」
などといい、生涯、独身で通し、長谷川家に居ついて、
「殿様。
私が、あの世へ行きましたら、御面倒でも、大川(隅田川)へ放り込んで下さいまし」
大石良雄外十六人忠烈の跡(港区)
仇討ちの後、赤穂浪士は複数の屋敷に預けられた。

大石良雄(内蔵助)ら17名は細川家の屋敷に送られ、この地で切腹を命じられた。
細川家の待遇は他とは異なり、介錯人を付けたほか、庭に敷く畳も通常2枚のところ3枚 敷いたという。
鬼平犯科帳(六)(木母寺)
梅柳山・木母寺は、大川(隅田川)が荒川と綾瀬川に分かれんとする墨田堤のもとに ある古い寺である。

境内には、古事に名高い梅若丸の塚があり、当時、大川を西にのぞむあたりの景観は、 現代の墨田区・堤通りなどという塵芥くさいそれとはおよそ程遠いものであった。
玉鹿石(三鷹市)
昭和23年(1948年)、太宰が愛人の山崎富栄と共に玉川上水に入水自殺したと される地。

無名碑になっており、「玉鹿石」と書かれたパネルだけが、「風の散歩道」の歩道脇に 設置されている。
玉鹿石とは、太宰の故郷、青森県金木町産の銘石。
忍者群像(上田)
当時17歳だった仁左衛門は、鳥居元忠の部隊にぞくしていて、徳川家康が 信州上田攻略にさしむけた征伐軍の一員として参加した。

初陣である。
上田の城にこもる真田昌幸は、信之・幸村の二子と共に約二千余の軍勢を諸方に配置し、 徳川軍の来攻にそなえて、意気軒昂たるものがあった。
石田寺(せきでんじ)(日野市)
高幡不動 金剛寺の末寺。

樹齢400年といわれる樹高約26mのカヤの大木が目印で、その根元には歳三の子孫・ 土方康氏が建立した「土方歳三義豊之碑」、顕彰碑の斜め前には「歳進院殿誠山義豊 居士」と古座まれた歳三の墓がある。

日野市・新選組
土方歳三をはじめ誠を貫いた隊士達の故郷へ

桜田門外の変などにより、幕府の権威は失墜。
全国の血気盛んな志士達は「尊王攘夷(天皇の権威を尊び異国を排外する思想)」を掲げ、 朝廷のある京に上り、暴力による主張をはじめた。

このとき今日の町を警護し、志士達を取り締まったのが新撰組。
中心人物は、多摩の百姓から天然理心流宗家を継いだ近藤勇と、日野出身の土方歳三ら。
いずれも日野宿問屋の佐藤彦五郎宅に開かれた「天然理心流佐藤道場」に通い、腕を 磨いていた。
つまり新撰組にとって日野は、故郷とも言える土地なのだ。

池田屋事件などで名を上げた新撰組だったが、戊辰戦争により衰退。
しかし、日野の人々は最後まで新撰組を支援し続けた。
甲陽鎮撫隊と名を変え新政府軍と戦った甲州勝沼の戦いにおいても、佐藤彦五郎が中心と なって最新式の鉄砲を用意。
日野の若者の多くが部隊に加わった。

剣の腕を磨き、激動の時代に挑んで行った隊士達。
日野の町には今でも「誠」の文字を掲げた資料館や寺社が残り、彼らの偉業をたたえている。
梅安影法師(神田明神)
金ずくで人を殺す仕掛人として、あのような失敗をしたことは、これまでに 一度もなかった伊三蔵なのだ。

しかも藤枝梅安は、その日のうちに単身で神田・明神下の山城屋へ乗り込み、白子屋 菊右衛門を殺害して逃げたというではないか。
戸山公園(箱根山)(新宿区)
尾張藩の下屋敷跡。

二代藩主徳川光友が、標高44.6mの高台を箱根山に見立てて、東海道五十三次に 似せた「戸山荘庭園」を造園した。
一帯には風情ある散策路が整備されている。
梅安冬時雨(薬研堀)
線香問屋の主人・森田屋作兵衛について、藤枝梅安は何も知らぬといってよい。

梅安は、この仕掛けを、六年ほど前に、薬研堀の料理屋・草加屋金蔵からたのまれ、 引き受けた。
例によって、草加屋金蔵を信頼した上でのことだ。
大坂屋虎ノ門 砂場(港区)
大阪城築城の際、城の素直牙で営業していた「糀谷七丁目砂場藤吉」という 店から暖簾分けし、明治5年(1872年)創業。

山岡鉄舟、勝海舟、高橋泥舟の幕末三舟が贔屓にした。
北海道産そば粉を使った甘みと香りが強いそばは、のど越し抜群。
季節ごとの変わり種のそばも楽しみたい。
新 私の歳月(歌舞伎座)
「来月の歌舞伎座は六代目(菊五郎)だなあ」

「うむ、切符を早く手に入れておかないといけないねえ」
などと、語り合っていたものだ。
私なども、小学生のころから、
「たのむよ」
と、母にいわれ、歌舞伎座へ翌月の芝居の切符を買いに行ったものだ。
吉良上野介(こうずけのすけ)邸跡(本所松坂町公園)(墨田区)
吉良上野介の屋敷が建っていた地。

かつては南北約63m東西約134mにも及ぶ広さだったが、現在は86分の1に縮小され、 本所松坂町公園として保存。
なまこ壁の内部には首洗いの井戸や松坂稲荷大明神、吉良家家臣の供養塔などが残る。
よい匂いのする一夜(伊豆)
昔の伊豆は、ほんとうによかった。

若かったころの私どもが、伊豆にあこがれたのは、やはり、川端康成の「伊豆の踊子」や、 伊豆と伊豆の人びとを描いた、まるでスケッチのように愛らしい掌編に魅了されたから だろう。
泉岳寺(港区)
慶長17年(1612年)、徳川家康が今川義元の菩提を弔うために創建。

寛永の大火で焼失し、現在地へ。
四十七士ゆかりの寺として知られ、境内最奥には大石良雄をはじめ四十七士と浅野内匠頭 の墓がある。
一角には赤穂義士記念館も併設している。
大澤家住宅(川越)
当時の豪商・近江屋半右衛門が呉服を商う店舗として寛政4年(1792年)に建築。

明治26年(1893年)の川越大火に耐え抜き、川越に蔵造りが広まるきっかけになった 建物のひとつともいわれている。
現在は民芸品店として営業している。
軍艦操練所跡(中央区)
安政4年(1857年)、幕府が軍事訓練施設・講武所内に設けた海軍士官養成機関。

幕臣や諸般の藩士を対象に、ここで航海術や砲術の講習が行われた。
長崎海軍伝習所の修業生が指導にあたり、オランダ製の軍艦が練習用に長崎から 運び込まれた。
占春園(文京区)
徳川光圀の弟、松平頼元が万治2年(1659年)に居を構えたことが起源。

花鳥風月に恵まれ、ホトトギスの名所として知られた庭園は、江戸三名園にも数えられた。
明治以降は東京高等師範学校(東京教育大学を経て筑波大学へ改組)の校地となった。
太田記念美術館(渋谷区)
約1万4000点を収蔵する浮世絵専門美術館。

毎月展示替えを行い、常時約80点ずつ公開している。
葛飾北斎や歌川広重をはじめ、優品が揃っている事でも名高い。
慶安寺(杉並区)
慶安4年(1627年)に創建。

かつて上野の不忍池に映る紅葉が望めたことから、紅葉寺とも呼ばれていた。
境内には「解体新書」の翻訳を主導した前野良沢の墓がある。
全生庵(台東区)
江戸城無血開城に尽力した山岡鉄舟ゆかりの寺。

彰義隊をはじめ、幕末から明治維新にかけて国事に殉じた人々を供養。
境内には鉄舟の墓もある。
お玉が池種痘所跡(千代田区)
伊東玄朴ら82名の蘭方医が安政5年(1858年)に開設した種痘所の跡。

わずか半年後に焼失し移転を余儀なくされたが、後に官立の施設となり、西洋医学所、 東京医学校と数度の海相を経て、東京大学伊賀k部へと発展した。
慶応義塾発祥の地碑(中央区)
安政5年(1858年)、福沢諭吉が中津藩中屋敷内で蘭学塾の教師に就任。

これをきっかけに名声を高め、後に慶応義塾を開く。
ちなみに塾生からの授業料で学校運営をはじめたのは、慶応義塾が最初だといわれている。
石碑の隣りには「蘭学事始の地」碑も立つ。
洗足池公園(大田区)
都内有数規模の淡水池を有す公園。

勝海舟がこよなく愛した池といて知られ、幕末期に新政府軍との交渉へ向かう際も立ち寄ったと 伝わる。
園内には勝海舟夫妻の墓や別荘跡、戦死した西郷の名誉回復と追悼のために造った 「西郷隆盛留魂詩碑」などがある。
迎賓館赤坂離宮(港区)
明治42年(1909年に東宮御所として建てられたネオ・バロック様式による宮殿建築。

ジョサイア・コンドルの弟子・片山東熊が設計した。
仙台堀川(江東区)
深川を代表する水運のひとつだった仙台堀川。

川沿いには木々が生い茂る小道がのび、癒しの散歩道が整備されている。
特に木更木橋から清澄橋にかけての約500mは実にすがすがしい。
流域には、深川ゆかりの俳人・松尾芭蕉にちなんだ「芭蕉俳句の散歩道」もある。
玄武官跡(千代田区)
北辰一刀流の開祖・千葉周作が創設した剣術道場。

当初は日本橋にあったが、入門者が増え手狭になったため、文政8年(1825年)にこの場所へ移転した。
門弟の数は3000人を超え、練兵館、士学館とともに江戸三大道場のひとつに数えられた。
仙波東照宮(川越市)
徳川家康が逝去後、遺骨を久能山から日光に移す途中にこの地に立ち寄り、 縁の深い天海僧正が喜多院にて4日間法要を営んだことから創建。

寛永15年(1638年)の川越大火で焼失したが、徳川家光の命で再建。 現在残るのは再建された社殿。 本殿や唐門、石鳥居や随身門が国の重要文化財に指定。
高徳院(鎌倉市)
建長4年(1252年)に鋳造が始まったと伝わる鎌倉大仏を御本尊とする寺院。

鎌倉大仏は正式名称・国宝銅造阿弥陀如来坐像といい、昭和33年(1958年)に 国宝に指定。
鋳造当初は、大仏殿に覆われていたが、台風や大津波によって倒壊し、室町時代 末期には現在の形になった。
両国(墨田区)
駅を出ると力士像がお出迎え。

街を歩けば、お相撲さんにも出会える。
国技館を中心に、東京や江戸の文化や歴史に触れる施設も多い。
浅草(台東区)
下町はもちろん、東京や日本を代表する観光名所として知られる浅草の街。

江戸情緒や下町風情、大衆文化に触れながら散策したい。
葛飾区 山本亭(葛飾区)
大正から昭和初期に建てられた和洋折衷の邸宅と築山・滝がある書院庭園を公開。

邸内には抹茶やぜんざい、コーヒーなどの喫茶メニューが公開されている。
下町風俗資料館付設展示場(台東区)
1910年(明治43年)に建てられた酒屋・吉田屋を移築。

帳場がある土間に木樽や陶製樽、枡、徳利、古いポスターや看板などを展示して公開している。
ニコライ堂(千代田区)
ビザンチン様式の美しい建物は、1891年(明治24年)にギリシャカトリック大主教 カサーツン・ニコライが建てた聖堂(重文)。

18世紀から伝わるイコン(聖像)を安置する堂内は、荘厳な空気に包まれている。
麟祥院(文京区)
1624年(寛永元年)、徳川三代将軍家光の乳母・春日局の願いにより創建。

その墓は墓石と大堰に穴が開いた独特のもので、「死後も天下ににらみが効くように」との 遺言によるとされる。
浅草演芸ホール(台東区)
昭和39年に誕生した落語定席。

江戸前の落語を中心に、漫才、漫談、曲芸、手品、紙切りなど多彩で、テレビでお馴染みの 噺家や芸人も出演する。
葛飾柴又寅さん記念館(葛飾区)
映画「男はつらいよ」がテーマの記念館。

寅さんの生い立ちをジオラマでたどる帝釈天参道、大船撮影所から移したくるまやのセット。
寅さんの魅力を紹介する大型映像、然48作のマドンナや名場面の選択映像コーナー、最後は 思い出に残るエンディングシーンが見られる。
寅さん記念館の前、葛飾区観光文化センターB棟2階には、山田洋次ミュージアムがある。
「男はつらいよ」シリーズと並行して作られてきた「山田監督のもう一つの世界」と呼ばれる 作品群をデビュー作「二階の他人」から最新作「東京家族」までを時系列に8つのテーマに分けて 紹介している
品川宿(品川区)
品川宿は東海道五十三次の第一宿場町。

品川駅からわずか一駅だが、宿場町の雰囲気が残る。
往時の面影を残す街並みを散策しよう。
西十間橋(台東区)
橋下の北十間川に映る、逆さ東京スカイツリーの撮影スポットとして人気の場所。

青空との対比が鮮やかな午前中も、ツリー本体が茜色を帯びる夕暮れ時もいい。
芭蕉俳句の散歩道(江東区)
清澄橋から清澄通りまで、川の南側にある散歩道。

芭蕉が「奥の細道」の旅路で詠んだ全62句のうち、18句が立て札に記されて掲示されている。
向島(墨田区)
花街だったかつての風情を残す向島。

和菓子の激戦区としても名高く、どれを買おうか迷いそう。
また博物館も点在する。
やっちゃ場跡(足立区)
1594年(文禄3年)からの歴史を持つ青物市場(やっちゃ場)があったところ。

扱い品と屋号を描いた木札を掲げ、昔をしのばせている。
向島百花園(墨田区)
文化・文政年間(1804年〜1830年)に文化人が中心に開いた花園。

梅や桜、フジ、ハナショウブ、ハギなどが咲く。
園内には500種以上の植物が植えられている。
谷中(台東区)
寺、霊園、展示館、公園など、下町らしさを感じさせる見どころがあちこちに。。

町並みも楽しんで歩きたい。
六芸神(台東区)
ロックの外れパチンコサンシャインの前には。

浅草ゆかりの芸能人を神に見立てた六芸神の群像が置かれている。
かっぱ橋道具街(台東区)
調理道具や店舗用品などの店が並ぶ、プロ御用達の街。

市価よりも安くそろい、料理好きならずとも欲しくなる。
品川宿交流館本宿お休み処(品川区)
旧東海道沿いで品川宿の情報発信と観光案内を行う。

休憩所を兼ねていて、品川宿散策でのひと休みにも最適だ。 2階のギャラリーは品川宿の歴史と文化を紹介。
竹久夢二美術館(文京区)
竹久夢二美術館では、

約3300点所蔵する夢二の作品のうち、常時200〜250点4が見られる。
八幡橋(江東区)
1878年(明治11年)に宝町の境川に架けられた弾正橋が移築されたもの。

鋳鉄橋から錬鉄橋に変わる時期の遺構として重要文化財に指定され、保存されている。
森下(江東区)
江戸時代でいえば本所深川界隈にあたるこのエリア。

江戸の面影を残す見どころ、味どころをめぐって、江戸っ子気分を満喫しよう。
谷中銀座(台東区)
昔ながらの商店が並ぶ通りは、今や谷中名所のひとつ。

総菜や菓子、小物など、手頃な価格のものが多く、ついいろいろ欲しくなる。
香取神社(江東区)
平将門の乱を平定した俵藤太が先勝祈願した神社と伝わり、勝利の神・スポーツ振興の 神として厚く信仰されている。

参道には「亀戸香取勝運商店街」の名がついている。
品川神社(品川区)
1187年(文治3年)、源頼朝が海上交通安全と祈願成就を願い安房国須崎明神 のの天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)を勧請した。

富士塚(品川富士)からは眺望が楽しめる。
裏手境外には板垣退助の墓がある。
巣鴨種屋(豊島区)
巣鴨地蔵通り商店街から離れると、旧中山道の名残を伝える旧家が点在。

江戸時代に種を扱う種子屋が軒を連ねていたところで、種子屋とも呼ばれる瓦屋根 商家建築の東京種苗株式会社が、かつてのたたずまいを見せる。
日暮里(荒川区)
日暮里駅前が再開発されていく中、このエリアは一歩路地を入ると古い家や歴史ある寺社が残る。

老舗の和菓子や伝統の洋食も魅力だ。
屏風博物館(墨田区)
装飾用など屏風作り一筋の片岡屏風店が、サイズも絵柄もさまざまな屏風を展示。

江戸唐紙などの端切れを生かしたポチ袋や主義袋がおみやげに手頃。
からくり屏風づくりが体験は10人から受付。
門前仲町(江東区)
富岡八幡宮・深川不動堂の門前町。

毎月3月の縁日は参詣客でにぎわる。
食の名店も多く、伝統の味を守り通す老舗が軒を連ねている。
谷中霊園(台東区)
主として天王寺の境内約10万3000?をすぃちした、東京都営墓地。

徳川慶喜や実業家・渋沢栄一、筝曲家・宮城道雄、日本画家・横山大観ら、多くの著名人が 眠っている。
桜並木も美しい。
浅草神社(台東区)
浅草寺の本尊を発見した檜前浜成・竹成兄弟と、本尊を安置した村長・土師真中知をまつって創建。

三社様と崇められてきた。
5月の三社サイはこの神社の祭礼で、江戸三大祭りの一つとして知られる。
カトリック築地教会(中央区)
1874年(明治7年)に設立された東京最古のカトリック教会。

現在のパルテノン様式の建物は関東大震災後に再建された。
正面壁のレリーフや門柱などの意匠もすばらしい。
不忍池弁天堂(台東区)
寛永寺を創建した天海僧正が、不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえて中島を築いた。

その地に宝厳寺の大弁才天を勧請し建立したのが弁天堂。 本堂の天井には、「金竜」の図が描かれる。
ちいさな硝子の本の博物館(墨田区)
手作りガラスを知ってもらおうと墨田区内の松徳硝子ガラスが運営。

ガラス関連の本や資料約850冊を閲覧できる。
同社の職人手作りの器や小物も販売。
ガラスに絵や文字などを彫る体験も実施。
人形町(中央区)
都心に近いビジネス街でありながら、江戸情緒を感じさせる店が点在。

表通りから一筋入ると、思いがけ寺古い建物も残っている。
寅さん像(葛飾区)
柴又駅前に立つフーテンの寅像。

駅に着いた人はまずパチリ、の人気撮影ポイント。
像は寅さんが妹のさくらに呼ばれて、振り向いた場面がモチーフ。
門と蔵のある広場(豊島区)
染井の代表的な植木職だった丹羽家の邸宅跡。

津藩下屋敷の裏門を移したと伝わる腕木門と1936年(昭和11年)築の蔵が残っている。。
浅草花やしき(台東区)
創業1853年(嘉永6年)、日本最古の遊園地だ。

昭和24年登場の「ビックリハウス」や昭和28年にお目見えした国産ローラーコースターは今なお人気。
地上45メートルまでゴンドラが上がるBeeタワーは浅草界隈を展望するにもいい。
メリーゴーランドをはじめ幼い子どもが楽しめるアトラクションが豊富。
園内には「しあわせ橋」など昔ながらのパワースポットも3か所ある。
浅草雷門(台東区)
浅草一番のにぎわいエリア。

縦横にぎやかな通りが走り、老舗から流行のショップまで、店がぎっしり。 探検気分でお気に入りを探そう。
柴又(葛飾区)
映画「男はつらいよ」の主人公・車寅次郎の出身地としておなじみの町。

映画に関する資料館のほか、舞台やモデルになった店も訪ねたい。
深川神明宮(江東区)
慶長年間(1596年〜1615年)に新田開発されたところにまつられている。

深川の地名はここが発祥。
弥生式土器発掘ゆかりの地(文京区)
1884年(明治17年)に新しい形式の土器が発掘され、

この付近の地名を冠した「弥生土器」と名付けられた。
浅草文化観光センター(台東区)
地上8階地下1階の、浅草文化観光センターや2階のパソコンで観光情報が手に入るので、浅草観光の 際には是非立ち寄りたい。

8階展望テラスでは東京スカイツリーを一望できる。
カフェ「アサクサミハラシカフェ」ではフードメニューも用意。
柴又帝釈天(題経寺)(葛飾区)
にぎやかな参道の突き当りに二天門・帝釈堂・本堂・釈迦堂・客殿などが建ち並び、1629年 (寛永6年)創建の歴史を伝えている。

拝殿のメインは、帝釈堂に刻まれた法華経説話を題材にした彫刻。
彫刻ギャラリーとして、客殿の庭園・邃渓園と併せて公開されている。
ちはら街並み美術館(豊島区)
日本の歴史的建築物や町並みを描き続ける千原昭彦氏の美術館。

北海道から沖縄まで町並みを追いかけて描いた、精密な作品が見る人を惹きつけている。
深川不動(江東区)
千葉県の成田山新勝寺の東京別院で、厄除け・開運・交通安全祈願に参拝する人が多い。

特に1・15・28の縁日がにぎわう。
境内の深川開運出世稲荷も人気がある。
内仏殿4階の宝蔵大日堂に、中島千波によって描かれた日本最大級の天井画は必見。
弥生美術館(文京区)
弥生美術館は、弁護士の鹿野琢見氏が収集した高畠華宵の挿絵3500点を中心に、岩田専太郎、 鏑木清方など、合計約2万7000点を収集・展示。
大正ロマンの魅力に満ちた作品が数多く並ぶ。

特に1・15・28の縁日がにぎわう。
境内の深川開運出世稲荷も人気がある。
内仏殿4階の宝蔵大日堂に、中島千波によって描かれた日本最大級の天井画は必見。
アサヒビールタワー(台東区)
アサヒビールの本社ビル。

ビールジョッキを模した琥珀色のビルにツリーが反射している。
ビルに映るツリーは黄金色に輝いているように美しい
亀戸(江東区)
亀戸天神社の門前町として栄えたエリア。

明治通りと蔵前橋通りが縦横に通ってにぎやかだが、随所に落ち着いた構えの老舗も。
根津(文京区)
上野公園の北側のこのエリアは、寺町であり、静かな文教地区でもあるところ。

ギャラリーや展示館を訪ねて、のんびり散策したい。
文京ふるさと歴史館(文京区)
「くらしの歴史」コーナーにある、江戸時代の武士や庶民の生活に関する展示からは

当時の街の風景を思い浮かべることができる。
郵政博物館(墨田区)
日本の郵便・通信、郵便貯金、簡易保険の歴史をビジュアルに展示する博物館。

昔懐かしい郵便ポストや郵便車の模型などの展示もあり、体験型シミュレーションコーナーも ある。
必見が「切手の世界」。
世界中の切手約33万種が展示され、引き出して間近に見ることができる。
ミュージアムショップも併設。
亀戸梅屋敷(江東区)
せんべい、和菓子、漬物など、亀戸界わいの名産品コーナー、

い 伝統工芸江戸切子のギャラリー、休憩所、観光案内所などが入る施設。
築地(中央区)
「東京の台所」築地市場で職を楽しみ、聖路加ガーデンや築地本願寺などの建物ウオッチング。

歴史を物語る石碑も点在している。
根津神社(文京区)
日本武尊が千駄木に須佐之男命をまつったことに始まる古社。

徳川5代将軍綱吉が、6代家宣の屋敷地を献約し社殿を建て、今の場所に移した。
本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門など、重文に指定されている社殿が見物。
約2000坪の神苑に、約100種3000株のツツジが咲く春が特に美しい。
法乗院(江東区)
高さ3.5m・幅4.5mの巨大な閻魔像を安置し、「深川のおゑんま様」として広く信仰を 集めている。

閻魔は地蔵と表裏一体とされているところから、左の手に地蔵菩薩像が載っているのが珍しい。
毎月1・16日がご開帳日で、閻魔像を間近に拝める。
夕やけだんだん(荒川区)
谷中銀座東入り口には、36段の石段「夕やけだんだん」がある。

その名の通り、石段の上からは商店街の向こう側に、美しい夕焼けが眺められる。
吾妻橋(墨田区)
多くの人がカメラを構えるベストスポット。

アサヒビールタワーと、墨田区役所によって高さがより強調されている。
亀戸天神社(江東区)
1662年(寛文2年)に太宰府天満宮の神職が開き、翌年徳川4代将軍家綱が社地を寄進。

太宰府に倣って、社殿・楼門・心字池・太鼓橋を造営したと伝わる。
1月24・25日の鷽替神事、2月上旬〜3月上旬の梅まつりで知られるが、境内に15ある藤棚も 見逃せない。
100株が一斉に咲く、4月下旬〜5月が最高。
築地場外市場(中央区)
魚介、乾物、野菜、調理器具など、プロの料理人が買い求める専門店が軒を連ねる。

品物の良さと価格の安さが魅力の小売市場だ。
法真寺(文京区)
東大赤門の向かいにある浄土宗の寺で、樋口一葉ゆかりの寺。

一葉は1872年(明治5年)に寺の東隣に居を移し、のちにニッキ「桜木の宿」で回想している。
一葉の作品に登場する腰衣観音も現存。
湯島(文京区)
かつて多くの文豪が暮らした本郷から天神様のいる湯島へ。

お参りを済ませた後は、三菱の創設者である岩崎家の豪邸にお邪魔しよう。
甘酒横丁(中央区)
和菓子、寿司、たい焼き……。

下町らしい店が並ぶ約250mの商店街で、伝統に培われたこだわりの品々をショッピング。
寛永寺(台東区)
1925年(寛永2年)に天海僧正が開いた、天台宗の別格大本山。

かつては上野の山全域118万8000?の寺域に32の堂宇を並べ、子院36を擁する大寺だったが、 彰義隊が官軍に大敗した時に大半の堂宇を焼失。
寺域も大幅に削減され、根本(こんぽん)中堂と両大師の間が大きく隔てられるような現在の 寺観になった。
天璋院篤姫の墓がある徳川霊廟は、特別参拝で公開中。
真性寺(豊島区)
江戸の街道口にまつられた六地蔵のうち、3番目の寺として知られている。

本堂の前に、正徳4年(1714年)に造立された高さ2.68mの銅像地蔵菩薩坐像がある。
北区以外のお気に入り
・旧岩崎邸

・浅草寺

・白山神社

・犬夜叉松江ツアー

・銚子

・韮山

・浅草寺

・湯島天神町

・白山神社

・旧岩崎邸

・松江

・上野

・上野公園牡丹祭り

・巣鴨

・銚子

・韮山

・目黒

・TUBE

・旧岩崎邸

・松江

・上野

・巣鴨

・銚子

・韮山

・目黒

・愛染院(新宿区)

・愛宕神社(港区)

・一行院(文京区)

・一乗寺(台東区)

・烏森神社(港区)

・円光寺(台東区)

・亀戸香取神社(江東区)

・港区

・雑司が谷鬼子母神

・上田市

・真田屋敷

圧磨機圧輪記念碑(板橋区)

タカセ(板橋区)

板橋区

亀戸天神

板橋区

根津神社

板橋区立加賀公園(板橋区)

白山神社

板橋郷土資料館

六義園

いたばし観光センター

加賀西公園(板橋区)

向島(墨田区)

根津神社

簸川神社(文京区)

根津神社

浜離宮(中央区)

白山神社

不忍池(台東区)

六義園(文京区)

圧磨機圧輪記念碑(板橋区)

福寿庵(豊島区)

亀戸天神(江東区)

文京区

根津神社

文殊院(板橋区)

白山神社(文京区)

法恩寺橋児童遊園(墨田区)

六義園(文京区)

豊川稲荷(港区)

加賀西公園(板橋区)

豊島区郷土資料館(豊島区)

大正大学(豊島区)

船橋屋本店(江東区)

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本所

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明治座(中央区)

物理試験所(板橋区)

迷子の標(中央区)

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薬研堀不動院(中央区)

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薬師の泉(板橋区)

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柳森神社(千代田区)

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物理試験室(板橋区)

揚子江菜館(千代田区)

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江戸川乱歩邸(豊島区)

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立石熊野神社(葛飾区)

六義園(文京区)

慈眼寺(豊島区)

亀戸天神(江東区)

TUBE展

アルズカフェ(閉店)

アンヂェラス(閉店)

アンナ・ミラーズ(閉店)

和歌山動物園