「剣客商売」をたどる道(三)


高田馬場〜穴八幡宮
「剣客商売」の「決闘・高田馬場」で吉村弥惣治と羽賀儀平の試合が行われたのは高田馬場。
でも高田馬場は以前紹介したので今回は近くの西早稲田2丁目にある穴八幡宮で。

実は初めて行った時、私は勘違いしていて穴八幡宮も高田馬場とゆかりの深い神社だと思っていた。
でもお話を聞くと、確かに地理的にも全く無関係とは言えないが、ゆかりが深いと言うならむしろ10分ほど 歩いた先にある水稲荷神社でしょうと教えて頂き、恥ずかしいのなんの。
ちゃんと下調べして行かないからこうなる・・・。


ちなみに穴八幡宮は流鏑馬で有名な神社で、確かに流鏑馬像もあった。
「穴」八幡宮なの「水」稲荷神社だの名前がちょっとおもしろいなあと思っていたら、元々は源義家が建立した神社で、 後に工事をしていた時、横穴が見つかり、そこから金銅の御神像が見つかった。
この逸話から穴八幡宮と呼ぶようになったそうだ(Wikipediaより)。

本殿は落ち着いた色合いだが、全体的に平安神宮を思い出したほど朱の色合いが目立つ豪華な神社。
木々の緑とのコントラストが目を楽しませてくれる。
他にも愛らしい布袋さんがいたりして、散策するのが楽しかった。
★ 東京都新宿区西早稲田2−1−11

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(2014年10月24日の日記)
12月23日 浪人・村尾源蔵の家〜夕焼けだんだん
「剣客商売」4巻の「夫婦浪人」に出て来る山岸浪人は本当に哀しい人物。
小兵衛さえも最初は「いたずらごころ」を出して接するのである。
皆の物笑いだった山岸浪人の最後は静かで、そして凄絶なものだった。

クライマックスの決闘が行われるのは村尾源蔵の家のある、今の西日暮里3丁目。
「夕焼けだんだん」のあるあたりである。
夕焼けだんだんとは、谷中銀座に降りる緩やかな階段の名前。
最初谷中銀座が目的だったが、谷中銀座は台東区谷中に位置することを、この時初めて知った。

谷中、根津、千駄木、略して谷根千。
戦災の影響を受けず、また意識して「下町らしさ」を残すことにより、下町ブームの先駆けとなった地と言われている。
現在は終了してしまったが、タウン誌「谷根千」は時折図書館などで目にすることもある。

私も好きだが、意外と行くことは少ない。
というのは、遠くはないが、行きにくい場所にあるからで目的があって行くという形でないとなかなか行けない。
サイト上で取り上げたのも、全生庵(谷中)、団子坂(千駄木)、根津神社(根津)など見るべきものは多いのに けっこう少ない。

その代り一度行くと一日歩いても飽きない地でもある。
以前「D坂の殺人事件」の舞台ということで、団子坂に行った時、立ち寄った書店で「「谷根千は一日だけでは絶対回れない、 三日あっても足りないですよ。」と言われたけれど、まさにその通り。
夕焼けだんだんも、たむろする猫が可愛く、夕焼けが美しいとのことだが、残念ながら夕方行ったことはない。
来年の目標のひとつ、にしておきたい。

それにしても、池波小説の舞台となると、どうしてもお寺や神社を探してしまうが、こういう全く異なる雰囲気の場所と すり合わせるのも意外で楽しい。

★東京都荒川区西日暮里三丁目10番・13番と14番の間

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(2014年12月23日の日記)
1月16日 駒形堂
「剣客商売」3巻の「嘘の皮」に登場する駒形堂。
二人の男に襲われている村松伊織を小兵衛が助けたことから小兵衛は事件に関わって行くのだが、この話はかなり切ない。
「嘘の皮をかぶって真をつらぬけば」それは真となるかもしれない。
でも真をつらぬくために、伊織とお照は生涯嘘を重ねていくしかない。

そしてお照の父親に対する想いが全く書かれていないのが辰蔵のために切ない。
お照の目はただひたすらに伊織に向けられており、村松左馬之助夫妻は今後幸せになろうが、父親はどうなのだろう。
若さゆえの一途さか、それとも「書かれぬ」部分での父への想いもあったのか。
私はむしろ優しい娘ではあってもお照の心に父を省みる余裕がなく、それを父も小兵衛もわかっているのかなと思った。

それゆえの辰蔵の寂しさであり、小兵衛の最後の言葉に思える。
伊織とお照がいつかこの嘘を知る者がなくなり、ほっと一息ついた時に父の事を思い出してくれれば、と思う。

さて駒形堂。
浅草に行けば訪れるつもりはなくとも必ず見かける(通る)名所の一つだが、天慶5年(942年)平公雅によって建立され、円仁作の 馬頭観音を祀るために建てられたのが起りであると伝わる。
古くは浅草寺の総門があった場所であるともいわれる。
ただし駒形堂は関東大震災の後に場所を現在地に移動している(Wikipediaより)。

縁起によると、隅田川で漁をしていた兄弟が一体の仏像を釣り上げ、それを祀るために建立したのが浅草寺。
その仏像を釣り上げた場所が駒形堂のある地だとのこと。
「江戸名所図会」など見ると、確かに川岸、水辺すれすれの所に建っている。
このそばに「元長」もあったんだなあ。

何度読んでもわからないのが、小兵衛が長次とおもとの新しい店を「元長」とつけた時、おもとが妙な顔つきになったくだり。
長次は大喜びだったから、女房の名を店の名前にすること自体はおかしくないと思うのだが。
なぜおもとは妙な顔つきになったのだろう。

★東京都台東区浅草2-3-1

(2015年1月16日の日記)
4月14日蝋燭問屋・越後谷半兵衛〜神田の家「井政」
桜の季節、神田明神も綺麗だが、立体駐車場を縮小して作った屋上庭園も素晴らしい。
意外と知らない人が多いので、参拝に行ったら是非寄って欲しいと思う。
桜だけでなくいろんな木や花が植わっているのでそのコントラストが美しい。
桜だけの場所で桜だけを愛でるお花見も好きだが、桜と菜の花、桜とチューリップや水仙など、 お互いを引き立て合っていると思う(今年は残念ながら桜の季節が短かったが)。

そしてその屋上庭園から見下ろしたところに神田の家「井政」がある。
千代田区の有形文化財で、元は江戸時代から続く材木商の遠藤家。
江戸城築城のために招集され、鎌倉材木座から神田鎌倉町に移住、後移築して今の場所になった。

私は鎌倉には行ったことがないが、夏目漱石著「こころ」で、私が先生と初めて出会ったのが元の材木座、 現材木座海岸だという。
ちなみに「材木座」という名前は、鎌倉時代に鎌倉七座(米座、相物座、博労座、炭座、材木座、絹座、千朶積座)という商工組合があり、 これに由来するのだそうだ(Wikipediaより)。

私が前に行った時は、内覧休止中だったが、今はどうなのだろうか。
ホームページを見たら、カフェなどあるようだが。
この日は時間がなかったので今度寄ってみたい。
神田明神の祭神である平将門との関係も深いようなので是非中を見たいのだが・・・。
(庭に将門の娘滝夜叉姫にゆかりの深い蛙の置物もたくさんあるそうだ)

さて、神田明神界隈(外神田2丁目)は江戸時代からすでに有名な観光地?参拝地?として有名だったこともあい、小説にも何度も登場する。
今回は剣客商売「越後屋騒ぎ」より蝋燭問屋・越後谷半兵衛。
上野の寛永寺に参拝した小兵衛は、誘拐されそうになっていた神田明神前の蝋燭問屋「越後屋半兵衛」の孫伊太郎を助ける。
神田明神「前」ならむしろ「天野屋」さんのある方だと思うが、天野屋さんはまた別の機会に紹介したい。

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★東京都千代田区外神田2-16
(2015年4月14日の日記)
9月15日御用聞き・万七の家〜根津神社
狐が出てくる不思議な話、「狐雨」は、「鬼平犯科帳」にも「剣客商売」にもあって、どちらもとてもおもしろくて好き。
池波小説には、たまにこうした人智を越えた不思議な話が出て来て、でもこのリアルな世界に何の違和感もなく 溶け込んでいるのが凄いと思う。

今回は「剣客商売」の方の「狐雨」。
剣術があまり得意ではない杉本又五郎が、恋人小枝がかつて助けた狐のおかげで一時的に強くなれるが・・・の話。
人はいいけど頼りない又五郎、恐ろしい力を持ちつつどこか色っぽい?狐の霊、そしてその姿をわずかとはいえ 垣間見る秋山小兵衛。

「狐」をテーマに狐が出て来る話をどこかで集めて出してくれないかな?と思うほど狐が好きな私としては この話はたまらない。
「狂乱」を手に取ると、何度も何度も読み返してしまうほど好き。

さて、その又五郎が住んでいるのは団子坂だが、今回は「根津権現門前に住む御用聞きの万七」の家を取りあげたい。
マップで見てみると、団子坂から根津神社までは歩いて8分とある。
以前千駄木駅から根津神社に歩いて行った時はもっと遠かった気がするが、そんなもの?
又五郎の道場で、5人の狼藉者が縛り上げられているという「珍事」を聞いて駆け付けた万七。
又五郎をよく知っているので、そんなことはあり得ないと思いつつ納得させられてしまう。
ここからやはり御用聞き文蔵を通じて小兵衛の耳に入ることになる。

今回取り上げる根津神社は谷根千の名所として有名だが、私も毎年4月のつつじ祭りを欠かさず見に行っている。
「今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。 」
と由緒にあるが、確かにどっしりと重みのある、何度訪れても飽きない神社である。

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★東京都文京区根津1-28-9
(2015年9月15日の日記)
9月15日御用聞き・万七の家〜根津神社
狐が出てくる不思議な話、「狐雨」は、「鬼平犯科帳」にも「剣客商売」にもあって、どちらもとてもおもしろくて好き。
池波小説には、たまにこうした人智を越えた不思議な話が出て来て、でもこのリアルな世界に何の違和感もなく 溶け込んでいるのが凄いと思う。

今回は「剣客商売」の方の「狐雨」。
剣術があまり得意ではない杉本又五郎が、恋人小枝がかつて助けた狐のおかげで一時的に強くなれるが・・・の話。
人はいいけど頼りない又五郎、恐ろしい力を持ちつつどこか色っぽい?狐の霊、そしてその姿をわずかとはいえ 垣間見る秋山小兵衛。

「狐」をテーマに狐が出て来る話をどこかで集めて出してくれないかな?と思うほど狐が好きな私としては この話はたまらない。
「狂乱」を手に取ると、何度も何度も読み返してしまうほど好き。

さて、その又五郎が住んでいるのは団子坂だが、今回は「根津権現門前に住む御用聞きの万七」の家を取りあげたい。
マップで見てみると、団子坂から根津神社までは歩いて8分とある。
以前千駄木駅から根津神社に歩いて行った時はもっと遠かった気がするが、そんなもの?
又五郎の道場で、5人の狼藉者が縛り上げられているという「珍事」を聞いて駆け付けた万七。
又五郎をよく知っているので、そんなことはあり得ないと思いつつ納得させられてしまう。
ここからやはり御用聞き文蔵を通じて小兵衛の耳に入ることになる。

今回取り上げる根津神社は谷根千の名所として有名だが、私も毎年4月のつつじ祭りを欠かさず見に行っている。
「今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。 」
と由緒にあるが、確かにどっしりと重みのある、何度訪れても飽きない神社である。

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★東京都文京区根津1-28-9
(2015年9月15日の日記)
12月21日医師・井村松軒の妾宅〜玉ひで
「剣客商売」の「陽炎の男」は、三冬が大治郎への恋心を強く意識するきっかけになったという意味でも印象深い。
同時に井村松軒と大場平七郎のコンビが悪党にもかかわらず、なんとも愛嬌があっていい。
特に井村松軒(笑)。
最後2人が仕置きを受けるところまで描かれなかったのは嬉しかった。

この話は、当時三冬が住んでいた根岸の寮の前の持ちぬしの医者井村松軒が実は盗賊だったことに端を発する。
清州の佐平治と組んで盗賊稼業に勤しんでいたのだが、佐平治の死後、根岸の寮に佐平治が三百両埋め込んでいたことを知る。
欲にかられる松軒だが、佐平治をちゃんと葬ってから三百両を奪いにやってくる。
こんなところが、池波さんが悲惨な最後にしなかった(そこまで描かなかった)理由なのかも。

その松軒の寮には現在三冬が住んでいることから話がおもしろくなるのだが、今回は松軒の江戸での居場所、お照の家。
日本橋住吉町(現在の人形町2丁目)に設定されている。
人形町界隈といえば水天宮に甘酒横丁、七福神に今半と、昔ながらの古き良き時代が見るにも食べるにも堪能できる観光地。
できることなら住んでみたいと、マンション探しにやって来てその高さに目玉が飛び出たのもいい思い出(笑)。
(当時なぜか下町は安いという間違った考え方をしていた。)

今回紹介するのは有名な親子丼のお店「玉ひで」。
常に行列が絶えることがないという有名店である。
私もこの日は気合入れて30分前に行ったが、すでに20人くらい並んでいてびっくりした。
それでも天気も良く、暖かい日だったからスマホいじりながらのんびり待ってたけど。

開店と同時にお店の人がお客さんをてきぱきとさばいていくのですぐ座れたが、4人掛けの席に3人連れとの相席だった。
自分で席は選べないので少々居心地悪かった。
でも普段混んでる店には入らないから、これが普通なのかもしれない。
いかにも老舗という落ち着きも感じられるし、慣れてしまえば悪くない。

相席したのは女性3人、何度か来ているようで、緊張している私に話しかけてくれたり(笑)。
最初にお茶と一緒に鶏のスープが運ばれ、いよいよ親子丼登場。
奇麗だしおいしいし、これはリピート決定!
老舗の貫禄と下町の親しみやすさを兼ね備えた名店のひとつだった。


以前名前は忘れたが、池波ファンの書いた池波エッセイを読んで、池波さんはあまり鶏料理(焼き鳥、親子丼など)に 興味を示さなかったと書いてあるのを読んで、なるほどと思った記憶がある。
料理に入った鶏肉(アルプス亭のチキンライスなど)は喜んで食べているし、もちろん軍鶏鍋もあんなにおいしそうに描いているし、 嫌いなわけではなかったろう。

あっ、「樹の枝」に「ぼたん」もあった。
けっこう鶏料理のお店も取り上げているじゃないか。
でもこのエッセイを書いた時、そのファンの方の脳裏には玉ひでが浮かんでたんじゃないかとふと思った。
玉ひでを訪れていたら必ず取り上げていたはず、そう思ってたんじゃないかと思った。
玉ひではそれほど「池波さんらしい」お店なのだ。

★「ひとりごと」でも写真を紹介しています。

★東京都中央区日本橋人形町一丁目17番10号
(2015年12月21日の日記)
1月27日 鞘師・久保田宗七〜水稲荷神社
「剣客商売」の番外編にあたる特別長編「黒白」。
若き日の秋山小兵衛を描くが、主役の肩書は小兵衛より波切八郎がふさわしいか。
その波切八郎と深い関わりを持つお信が住んでいたのが鞘師・久保田宗七の家の二階。
宗七の家は高田八幡宮の裏手に設定されているが、高田八幡宮は穴八幡宮の旧称。

つまり宗七の家は現在の西早稲田2丁目、高田馬場のそばにあることになる。
穴八幡宮は以前取り上げたので、今回は水稲荷神社を紹介したい。

好きなお寺や神社、よく行くお寺や神社を聞かれると、数あり過ぎて返事に困ってしまうが、一番長居した 神社を聞かれたら迷うことなく答える、水稲荷神社である。
以前穴八幡宮でお話を聞いた時に、水稲荷神社のことを聞いて見に行ったのは3年前の12月。

天気が良く、空は青く澄み渡り、空気は乾燥して底冷えのする寒さ、さらに冷たい風も吹き渡るという 今思い出しても震えが来る日だった。
でも豪奢な穴八幡宮と対照的にそのまま時代劇に出せそうな素朴な雰囲気、 陽射しに映える赤い幟と可愛い狐達に見入って3時間ほどぼうっとしていた(笑)。

ホームページを見ると、それなりに行事も多く、有名な神社なのだが、私が行った時は本当に閑散としていたのだ。
穴八幡宮で聞いた「ゆかりが深いと言うならむしろ10分ほど 歩いた先にある水稲荷神社でしょう。」の言葉の意味は、 ここに堀部安兵衛助太刀の場所の碑があることだった。


穴八幡宮の名前の由来は、「社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れた(Wikipediaより)」 だったが、水稲荷神社の名前の由来は「元禄15年(1702年)に霊水が湧き出した(同)」ことにちなむらしい。
こちらも当時は高田稲荷と呼ばれていたそうだ。

奥はこんもりした杜のようになっていて、富士塚古墳や小さな神社が並び、耳の欠けたお狐さんが数匹のんびりくつろいでいる。
静けさの中に時折吹く風の音も気持ち良くて、滅多にないことだが、動画まで録った。
いつ行っても同じ感動を得られるかどうか、それはわからない。

その日の天気や自分の気持ちや、そういったことにもけっこう影響されるので。
でもこの日の水稲荷神社は本当に気持ち良かった。
次に行った時に同じ気持ち良さを味わえるだろうか、それが不安であの日以来行っていない。
今回取り上げたのを機会に思い切って再訪してみようかな・・・。

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★東京都新宿区西早稲田3丁目5−43
(2016年1月27日の日記)
2月23日料亭・大村〜牛嶋神社
「江戸切絵図にひろがる剣客商売 仕掛人藤枝梅安」で見るまで気づかなかったが、大村は「剣客商売」と 「藤枝梅安」シリーズ両方に出て来る料亭。
「剣客商売」では「雨避け小兵衛」では、紙問屋伊勢屋吉兵衛の妻が立ち寄った際に娘おみつを攫われ、 「春の嵐」では大治郎の名を騙って人殺しをする戸羽平九郎がここの離れに潜んでいる。

梅安ではここを訪れた旗本安部長門守を「闇の大川橋」で梅安が仕掛ける。
もちろんどの話も読んでいるのだけど、こういうことってなかなか気づかないのが情けない。

その大村があるのは向島1丁目と設定されている。
スカイツリーがあるのは押上だが、まあその近辺である。
私は初めてスカイツリーに行った時から、浅草駅から吾妻橋を通って歩いて行っているが、最初の頃はよく迷った。
行くのは巨大な目印があるからいいが、帰りに迷う(笑)。
どの出口から出たかで変わってくるし。

そして迷って見つけたのが牛嶋神社だった。
広くてのどかで牛が可愛くて。
で、ここで駅への道を聞いたけど、一回りしてまた神社に戻ってしまった。
隣接している隅田公園も合わせるととにかく広い。

もっとも私は吾妻橋をひたすら探していたのだけど、隣りの言問橋を渡っても駅には行ける。
早い話がどこでもいいから川を渡れば駅に行けるのだが、とにかく方向音痴で地図が読めない人なので、特にあせると必ず迷う(笑)。

でも迷って儲けものと言いたいくらいに気持ちのいい神社だった。
撫で牛(自分の体の具合の悪い部分を撫でるとご利益ああるらしい)も可愛いが、これとは別に鎮座している狛牛も可愛い。

このエリアは小兵衛の自宅鐘ヶ淵を初め、七福神の白髭神社や長命寺(桜餅で有名)、三囲神社に言問団子と、池波さんゆかりの 名所がたくさんあるところ。
桜の季節が一番いいが人混みが凄いので、隅田川に沿ってのんびり歩くのは初秋がお勧め。

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★東京都墨田区向島1−4−5
(2016年2月23日の日記)
2月29日料理茶屋・橘屋忠兵衛〜秋の雑司ヶ谷鬼子母神
前回の大村は「剣客商売」と「藤枝梅安」両方に登場する料亭だったが、今回登場する料理茶屋・橘屋忠兵衛「鬼平犯科帳」「剣客商売」「藤枝梅安」と3作品を制覇?した有名どころ。
しかも寛延の頃の当主が元信州・松代藩真田家の家臣で、今でも真田家と深い関わりがあるということで、「真田騒動」にも出て来る。
鬼平では平蔵の私邸から近く、時折立ち寄るし(雲竜剣)、梅安は紀伊家の公敷用人・川村甚左衛門を仕掛けるところを座敷女中のおときに見られてしまう(梅安迷い箸)。
ここでの橘屋はおときを殺してしまうなど、本当に怖い立ち位置。

でも何といっても深く関わるのは若き日の秋山小兵衛を描いた「黒白」で、波切八郎が橘屋に身を寄せたことから運命が大きく変わって行く。
「橘屋・忠兵衛」のタイトルで番外編を書いても欲しかったと思える活躍ぶりである。

その橘屋は雑司ヶ谷3丁目、鬼子母神の境内?参道?にあったらしい。
平蔵の私邸は目白台3丁目。
護国寺駅から鬼子母神まで歩いて20分くらいだから、私邸からだと15分はかからなかったのではないだろうか。
とは言っても、鬼子母神に行くなら池袋駅から明治通りをひたすら歩くか、都電荒川線鬼子母神前で降りた方が雰囲気はずっといい。
(池袋からだと結構距離はあるが。)



鬼子母神近辺は他にもいくつかの茶屋や料理屋が登場するし、駄菓子の川口屋さんも健在なので、何度行っても楽しい。
今回は銀杏が奇麗な秋の鬼子母神。
特に赤の鳥居のとコントラストが奇麗だった。

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★東京都豊島区雑司が谷3-15-20
(2016年2月29日の日記)
3月18日一刀流・佐々木勇造の道場〜徳川慶喜梅屋敷跡
「剣客商売」の「浮沈」に出て来る一刀流・佐々木勇造の道場(佐々木亡き後、後継を山崎勘之介と木下 求馬が争う)は非常にわかりやすい場所にある。
巣鴨1丁目は、JR巣鴨駅のある場所だ。
しかもこの場所はかつて徳川幕府・最後の将軍慶喜が、明治30年(1897年)から4年間住んだ場所でもある。
広い屋敷内には、水戸を偲んでたくさんの梅が植えられ、梅屋敷と呼ばれたという。

その後明治34年(1901)12月24日に文京区小石川小日向第六天町に移転し、大正2年(1913)11月に亡くなったらしい。
なぜ巣鴨を離れたかと言えば、JR山手線ができて、その騒音を嫌ったから。
大正まで生きていたとはいえ、徳川幕府の将軍とJR山手線が頭の中で一致しなくてなんとなく落ち着かない(笑)。

クリスティーにビートルズが出て来た時も驚いたが、なんとなく自分で決めつけた世界、時代というものがあって、 そうじゃないことがわかると戸惑うのかも。
私の中ではホームズ物にパソコンが出るくらいびっくりした、と書けば大げさに過ぎるか。

さてこの梅屋敷、もちろん残ってはいないが巣鴨駅の道路(中山道)を挟んだ向かい側に石碑が残る。
駅を背に渡って左側に向かって歩くと、眼鏡スーパーがあって、そのお店の前にひっそりと。
場所はわかりやすいが、石碑が目立たないので前に通った時は気が付かなかった。

付近にはケンタッキーや大阪寿司の八千穂寿司などのお店が並ぶが、その界隈がかつての梅屋敷。
なるほどこの近さならうるさかっただろうが、騒音に慣れたこのご時世、こんな広大な屋敷に住んでてちょっと贅沢に 過ぎない?なんて思ってもしまう。
まあラストエンペラーに言える苦言ではないけれど。

梅屋敷がいつ壊され、今のような風景に変わったのかは残念ながら資料を見つけることができなかった。
でもこの道は、反対側に行くとおばあちゃんの原宿こと地蔵通り商店街でいつも賑やかで元気をもらえるし、さらに進むと 板橋池袋が待っている。
石碑を超えて進むと駒込や東大、文京区に入る。
距離はあるが、天気のいい休日のんびり歩くにはなかなかいいコースだ。

★「ひとりごと」でも写真を紹介しています。

★東京都豊島区巣鴨一丁目18番

(2016年3月18日の日記)
6月日 印判師・宮下金兵衛〜豊川稲荷
先日「おいしい本をさがす道」で「とらや」を 紹介したが、そのとらや本社のほぼ向かいにあるのが豊川稲荷である。
この時初めて知ったのだが、正確には豊川稲荷別院なのだそうだ。
大元は愛知県豊川市にあるので、考えてみれば当然なのだが(笑)、「豊川稲荷」で馴染み過ぎて考えたこともなかった。

ちなみにこちらでいただいた由来書も表紙は「豊川稲荷」となっている。
そしてこの住所に「剣客商売」11巻「小判二十両」に登場する印判師の宮下金兵衛の家が設定されている。
私は普段、小説に出てくる住所を調べて、その近くにあるお寺や神社を探しに行くのだが、今回は初めに豊川稲荷 ありきで、後で小説と照らし合わせたら金兵衛宅があったという珍しいパターン。

切絵地図には載っていないので気づかなかったのだが、豊川稲荷はそもそも大岡越前守忠相が屋敷で祀っていたものであり、 現在地に移されたのは1887年(明治20年)のことだという。
切絵図にないわけだ。

豊川稲荷はこんもりと木の生い茂る中に赤の鳥居や幟が色鮮やかで、しかも中にはお狐さんがいっぱい。
大好きな神社の一つなのだが、前に行ったのは、まだサイトで「池波世界をたどる道」を始める前だったので、ただのんびり くつろいでいたっけ。

今回、といっても去年の話だが、とらや本社一時解体前の展覧会を見に行ったついで(失礼!)に数年ぶりでお邪魔したのだが、 相変わらず一歩踏み入れれば車の騒音も聞こえなくなるほど静かで、それでいて庶民的でのどかな雰囲気に蔽われていた。
とにかくいろんな顔のお狐さんが楽しめるのが嬉しい。

★「ひとりごと」でも写真を紹介しています。

★<東京都港区元赤坂1-4-7BR>
(2016年6月日の日記)
7月27日 茶店・玉むら〜旧岩崎邸庭園
「剣客商売」で私が一番好きなのが佐々木三冬。
初期の肩を怒らしてのし歩いていた頃から、大治郎と出会って女性として目覚めるまでの変化が 美しくて、それだけにドラマの女優さんで満足したことはない。
きっと誰ならいいという事はないんだろうと思う。

そんな三冬の両方の魅力を一度に堪能できるのが「その日の三冬」である。
しっとりとした人妻の今の三冬と回想の三冬。
回想の中で三冬は、岩田勘助を伴って不忍池畔の茶店・玉むらを訪れる。
今でいうなら台東区池之端1丁目、そこにあるのが旧岩崎邸庭園である。

三菱財閥岩崎家の茅町本邸だった建物とその庭園を公園として整備したもの(Wikipediaより)で、 ずっと気になっていたのだが、実際に訪れたのは今年が初めて。
でも今回は幸運に恵まれていて、10時半頃たまたま質問した方が、11時からのボランティアガイドの方。
時間があるという事で、11時まで素晴らしい庭園を案内して頂いた。

さらにガイドツアーに参加して、ツアー後も邸内をうろうろしていたら、またばったり会って、もう一度 邸内を案内して頂いた。
通り一遍に回っただけではわからない、岩崎邸の素晴らしさを存分に味わうと共に、その歴史を 学べたことも大きな収穫だった。

さらに素晴らしいのが、旧岩崎邸は日にもよるが、邸内写真撮影OKなこと。
だからといって写真でその素晴らしさを表現できないのが情けないのだが、特に和館のしつらえが素晴らしかった。
もうひとつ、ファザード(建物の正面)、半円型や曲線を意味するアールなどの建築用語も覚え、ちょっといい気分(笑)。

でも美しい庭に出て、モチーフとしても使われているアカンサスを眺めながら、お話を聞いていると、やはり1人で ぐるぐる回るだけでは会得できない、かつてここで過していた人たちをリアルに感じるというか、その実感の強さが とても嬉しかった。

旧岩崎邸は、洋館、和館、庭園、撞球室(ビリヤードルーム)からなるが、撞球室だけが入ることができない。
(外から見ることはできる。)
でも洋館から続く地下道を通って撞球室を行くことができたようで、邸内のムービーでその地下道の様子を見ることができる。

★「ひとりごと」でも写真を紹介しています。

★東京都台東区池之端1丁目3−45

(2016年7月27日の日記)
8月17日 料理屋・鯉屋忠兵衛〜無縁坂
鯉屋忠兵衛は「剣客商売」に登場する料理屋で、煙管師の友五郎の後妻、おたよが かつてこの店で働いていた。
場所は現在の台東区池之端1丁目。
となれば、7月に紹介した茶店・玉むら(旧岩崎邸庭園)のすぐそばである。

ということで、旧岩崎庭園のついでに足を延ばした無縁坂にしようと地図と写真をチェックしたのだが、 あれ?と思ったこと。
たしかに住所は池之端1丁目だが、切絵図を見ると仁王門前町なので 、距離がだいぶ離れている。
仁王門前町は、不忍池の中にある弁財天に通じる道路の岸辺にあるのだ。

ここから旧岩崎庭園まで直で歩いたことはないのではっきりとはわからないが、池を回って行く ならば、10分くらいはかかるのではないだろうか。
人文社版切絵図、時折このように場所がずれてることがあるので、事前のチェックは欠かせない。
もちろん私が迷ったりなんなりで大幅にずれた所に行ってしまうのも日常茶飯事だが(笑)。

無縁坂を上ると三菱資料館もあるが(旧岩崎庭園は三菱財閥岩崎家の茅町本邸だった建物)、 こちらものぞいてみたけどよくわからなかった。

ところで私にとって無縁坂といえば、池波小説よりも、最近読んだ森鴎外の「雁」。
無縁坂の途中にその旨を記した表示があるのも嬉しかった。

ひとりごと」 にも写真を載せてあります。

★東京都台東区池之端1丁目

(2016年8月17日の日記)
9月28日 百姓・庄右衛門の家〜染井霊園
桜の下で大宴会もいいけれど、私が一番好きな桜の名所は豊島区にある染井霊園。
住所は駒込だが、巣鴨のほうが印象強い。
霊園だけに、もちろん飲んで騒ぐ人はいないし、広くても座る場所もないから、人も少なくとにかく静か。
抜けるような青空で、時折桜がざわめく風が吹けば、もう言う事はない。

桜を見る、つまり「花見」の意味を一番実感できる場所だ。
いわゆる有名人のお墓も多いが、お墓を一つ一つ探し回るよりも、ぼんやりお墓や墓誌を見ながら 歩き回るのが好き。

ただ区画を広く取り、威風堂々とした水戸徳川家の墓所と、高村光太郎智恵子夫妻のお墓は必ず 参るかな?
徳川家は大きくて目立つこともあるけど、雰囲気もいいし、高村光太郎は詩が好きだった。

この場所は切絵図では「百姓地植木屋」となっている。
かつて「瀧野川三軒」と呼ばれた種苗店の一軒榎本商店を継ぐ榎本留吉著「榎本の思い出集」によれば、 昔、日光御成街道・中山道沿いで、最初は畑に出ないお年寄りが野菜や焼き芋を売ったことから始まり、 やがてその野菜の美味しさに種を求める客が増え、やがてこうした植木屋が増えて行ったと伝えられている。

庄右衛門が出て来るのは「剣客商売」の狐雨。
庄右衛門は杉本又太郎がさらって来た小枝をかくまうだけの存在だが、又太郎に狐が絡み、おもしろい 物語となっている。
「鬼平犯科帳」にも出て来るが、狐が絡む話は本当におもしろい。

ひとりごと」 にも写真を載せてあります。

★東京都豊島区駒込5丁目5−1

(2016年9月28日の日記)
2月21日 富岡八幡宮
「剣客商売」の「深川十万坪」など秋山小兵衛にもお馴染みの富岡八幡宮だが、私の中では深川はどうしても「宮部みゆき」。 作品というより作家本人のイメージなのだけど。

江東区の一部の地域名だが、「深川に行こう」と言うとなんとなく胸躍る気持ちになるのはなぜだろう(笑)。
「浅草」と「深川」は時代小説好きにはたまらない地名であり、当時の名残を一番感じさせてくれる土地だからだろうか。
いつもはスマホいじりながら乗る電車も、急に池波本や宮部本を持って乗りたくなる。
「深川に行く私」に酔っているとしか言いようがないのだが、わかっていてそれを楽しむ自分がいる。

見どころも多いが、必ず訪れるのが富岡八幡宮と深川不動尊。
そして深川めしと深川江戸資料館。
一日いても飽きない街、それが深川かも。

今富岡八幡宮の更新しるそばで、テレビで富岡八幡宮そばの「わが家の食堂」の特集をやっている。
前に一度行ったことある気がするが、そんなに人気のお店だったのか。

ひとりごと」 にも写真を載せてあります。

★東京都江東区富岡一丁目20番3号

(2017年2月17日の日記)

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