時が流れた。 何度目かの桔梗の命日を迎えたその日、死んだ桔梗の年齢になった楓 が、犬夜叉の眠る御神木の前にたたずんでいた。 伏目がちで整った顔立ちだった桔梗に比べ、楓はふっくらとしていて目が丸く、 美しいとは言われぬものの、一緒にいる者を和ませる素朴で可憐な雰囲気を 漂わせている。 桔梗の死の直後から村を守る巫女の座にすえられた楓だったが、もとよりたいした霊 力もなく、普通の子供として育ってきた楓にとっては、まさに苦難の連続だった。 幸い村に四魂の玉がなくなったことで妖怪の襲撃も減り、桔梗の死が 知られてからは難しい妖怪退治を頼まれることもなくなった。 村を守り、村人たちが生活を営む上で必要なさまざまな雑事をこなすのが楓の務め 。 そんな中驚いたことは、今まで桔梗に依存し、守ってもらうばかりだった村人たち が一生懸命楓を助けてくれることだった。 それを楓は自分の至らなさと思い、情けなく思っていたが、実態は少し違う。 村人たちは、優しさの中に威厳を備えていた桔梗に比べて身近で親しみやすい楓に親近感を感じていたのだ。 そんな楓が村のために必死で尽くしてくれるのを見て、つい手伝ってしまいたくな る。 楓の霊力のなさが危うくもあった。 村の近辺をうろつきまわる妖怪を退治するにも、桔梗なら矢が1本あれば事足りた。 それが楓だと、心配した村人総がかりで熊手や鍬を持って楓の後について行くことになる。 そんな村人たちの優しさを、楓は嬉しくもすまなくも思う。 そして村中が一体となって、つつましくも精一杯生きていく中、楓が常に感じている のはある種の孤独だった。 この孤独感が何に根差したものかは楓自身にもわからない。 うつむいた楓に、「楓さま」と不意に優しげな声がかけられた。 「利吉か・・・。」 振り向いた楓の胸に甘酸っぱい想いがこみ上げる。 「こんな所に1人でいらしてはいけません。」 心配そうな笑みをたたえる利吉が、もしかしたら楓の夫になっているはずだったことを楓は知っていた。 桔梗が生きていた頃、村人たちが話しているのを何度も聞いたし、漠然とそんなものだろうと思った記憶がある。 幼い楓に恋心はなかったが、利吉に好意は持っていたし、この時代子供の頃から許婚が決められるのは、珍しいことではなかった。 全てが変わったのはあの日からだった。 そう、犬夜叉が村を襲い、桔梗が犬夜叉を封印して死んだ日。 桔梗に代わって村を守る巫女の立場についた日から、楓は女でなくなったのだと思う。 いや人間ですらなくなったのかもしれない。 巫女は村の中で神として祀り上げられる、当時の巫女はそれほど特別な存在だった。 特に妖怪が跋扈し、こちら以上に死が身近であった楓の世界では。 桔梗が、人間としての感情に振り回されると霊力が衰えると話したことがある。 桔梗が近寄りがたいほどの威厳を見せていたのは、人間としての感情を揺さぶらないためだったのだろうか。 あたしでさえ、と楓は思う。 村人たちが頼りないからと身近で助けてくれる、そんな楓でさえ人間とみなしてもらえない孤独感にさいなまれる。 完璧な巫女であった桔梗の孤独はいかほどのものだっただろう。 それに楓は気づいてあげられなかった、それが桔梗のために辛い。 でも、と同時に楓は思う。 この孤独は、巫女の立場になった者にしかわからない。 楓は眠る犬夜叉を見上げた。 こんなに長い時間がたっているのに、まるで何かの力で守られているかのように汚れのないその姿。 犬夜叉の周囲は時が止まっているかのように見える。 しかもその穏やかな表情は、あの日の殺し合いが嘘のような静けさに満ちている。 桔梗は本当に犬夜叉を憎んでいたのだろうか。 川のほとりで見せた桔梗の笑顔、向けた相手は犬夜叉ではなかったのだろうか。 しかし常人には見えない、この森を取り巻く瘴気も間違いなく桔梗のもの。 犬夜叉と桔梗のすさまじい愛憎劇は、恋を知らない楓の想いをはるかに越え、到底理解できないものだった。 ため息をひとつ落とすと楓は利吉に笑顔を向けた。 「すまなかったな、心配かけて。」 「まっすぐ家に帰られますか。」 「いや、お姉さまのお墓に参ってから。」 肩を並べて歩きながらさりげない会話を交わす。 利吉の目、いかにも人の良さげなその視線には優しさと敬いの気持ちがあふれている。 かつて母親の着物の裾にすがって楓を見ていた時の恥じらいや照れの気持ちはもうない。 利吉は1つ下の働き者の女房をもらい、つい先月子供が生まれた。 村の老婆に手伝ってもらって赤子を取り上げたのは楓。 自分と結婚するはずだったこの気のいい若者は、楓に何度も頭を下げ、無邪気に喜んだ。 楓の心のかすかな痛みなど知る由もないだろう。 別に利吉が好きだったわけではない。 だが、ある日突然利吉にとって、女でなくなった自分の立場が寂しい。 村の中を通り抜け、声をかけてくる村人に気さくな笑顔を向けながら楓は裏山に通じる石段にたどり着いた。 この石段を登った上に、桔梗の墓がある。 一日の終わりに桔梗の墓に参り、その日の出来事を報告するのが楓の常だった。 「ここでいい。 お姉さまのお墓には1人で行きたいから。」 ついてこようとする利吉を手で制す。 「そうですか。」 利吉は足を止めた。 「あの、楓さま・・・。 よかったら後でちょっと寄ってもらえませんか。 うちのも喜ぶと思いますし、いい魚が取れたので、少し持ってってください。」 「わかった、ありがとう。」 楓は寂しさを振り払い、微笑んで石段に足をかけた。 |