第6話 不思議な少女

村に夕闇が立ち込める頃、家に戻って夕餉の仕度にかかっていた楓を呼びに来たのは 利吉の使いだった。
「奇妙な着物を着た怪しい小娘だと・・・?」
急いで火を消し、立てかけてあった弓を取る。
その間に利吉が娘を乗せた馬を引いてきた。

疲れた老婆から村を仕切る巫女の顔に戻った楓はゆっくり近づいた。
他国の間者だろうか、よりによって犬夜叉の森に迷い込むとは・・・。
「おぬし何者だ。なぜ犬夜叉の森にいた。」
問いかけた楓はふと言葉を止めた。

似ている・・・、桔梗お姉さまに・・・。
縛られて動けぬ娘のあごに軽く手をかけ覗き込む。
よくよく見ると、さほど似ているわけではない。
いつも伏目がちだった桔梗に比べ、目は真ん丸く、あっけらかんとした顔をしてい る。

弓を射掛けられ、囚われたわりには恐怖を感じている様子もなく、ただ途方 に暮れているように見える。
足がむき出しの見たこともない着物を着ていたが、まるで昔からここに住んでいたかのように村の風景に馴染んでいた。
「心配はいらん、この娘は怪しい者ではない。
縄を解いてわしの小屋に連れて来てくれんか。」

楓は村人達に申し渡すと先に小屋に戻った。
改めて囲炉裏に火を起こし、鍋をかける。
米の粉を練ったものに楓が手ずから育てた大根や青菜を加えて味噌仕立てにした粗末な夕食 だ。
おずおずと入ってきた少女を囲炉裏ばたに座らせると、楓は汁をよそった。

緊張しているのか、手を出す様子のない少女に話しかける。
「おまえ、名前は何と言う。」
少女は一瞬聞き取れなかったらしい、きょとんとした表情になった。
「あ、えっとかごめです。日暮かごめ。」
ものすごい早口でこちらもよくわからなかったが、辛うじて「かごめ」とだけは聞き 取った。
「そうか、かごめと言うのか・・・。」

違う、当然のことながら桔梗とは名前も声も違う。
もっと明るいはっきりした声だ。
なのにこの感じは何だろう。
まるで姉が戻ってきて共に夕餉を囲んでいるような懐かしさ・・・。

「わしの姉は桔梗といってな、村を守る巫女だった。
もう五十年も昔・・・ わしが子供の頃に死んでしまったがね。」
問われてもいない昔語りをしていた楓は、さっきから動かないかごめの様子に目を留めた。

「どうした、食べんのか?」
「あのっ。」
かごめが後ろ手に縛られた腕をぶんぶん振り回した。
「ほどいてください。」

楓は苦笑した。
利吉だ、楓の身を案じたのだろう。
この少女は大丈夫だ、心配ない。
それにしても・・・。

「あの ここ・・・ 東京じゃないんでしょうか。」
箸と椀を取り上げ、ぼそぼそと食べ始めたかごめが椀のかげから目を覗かせた。
食欲もないらしい、不安が勝るのだろう。
「聞いたことがないが・・・ それがおぬしの生国か。」
「えー まあ・・・ そろそろ帰りたいかなって・・・」

かごめは曖昧に笑ってみせる。
聞き取りづらかった互いの口調にも慣れてきたが、それでも混乱しているらしいかご めは、どうしてここにいるのかうまく説明できないようだった。
自分でも何が起こったのかよくわからないらしい。

沈み込んだかごめに声をかけようとした途端、外から凄まじい物音と悲鳴が聞こえ た。
「なにごとだ!!」
年に似合わぬ身軽な動作で立ち上がった楓はかごめと共に外に走り出た。
その目の前に腹を噛みちぎられた馬が血しぶきを振りまきながら降ってきた。

かごめが悲鳴を上げる。
「もっ、物の怪じゃあっ!」
崩れた柱の下敷きになった男が叫び、空を見上げた2人の視線の先に、女の上半身と 百足の下半身を持った巨大な妖怪が舞い上がった。
楓が息を呑む。
「百足上臈!」

遠い昔、桔梗の手で退治されたはずの百足上臈がなぜ再び蘇ったのか。
百足上臈は50年前にも当時桔梗が持っていた四魂の玉を狙って村を襲ったが、桔 梗の一矢で射抜かれた。
その亡骸は、「骨喰いの井戸」と呼ばれる村はずれの井戸に捨てられた。
もちろん楓も手伝ったし、数日後に亡骸が消えたのも確認した。

この枯井戸は、退治された妖怪が復活することのないように桔梗が呪を施したもの。
桔梗は50年前に死んだが、その呪は犬夜叉が眠る招霊の木と共に効力を持続し続け ているはずだった。
それが今になってなぜ・・・。

立ち尽くす楓のそばで、かごめが弾かれたように後ずさった。
「あ・・・ あいつ!!」
無意識に出たらしい言葉に疑問を持つ間もなく、かごめを見やった百足上臈が奇声を 上げた。
「四魂の玉をよこせえええ!」

驚くほど滑らかな動きを見せて百足上臈がかごめに襲い掛かる。
「し、四魂の玉だと?」
楓はぎょっとした。
姉を死に追いやった禍々しい魔玉、なぜかごめが?

「おぬし、持っているのか!?」
「わ、わかんないけど・・・」
かごめが叫んだ。

その顔に恐怖はなく、この場を救うという使命感が満ちていて、楓は 再び息を呑んだ。
こんな時、桔梗もよく見せていた表情。
毅然とした巫女の顔・・・。

「村の外に連れ出さなきゃみんなが!」
再び叫ぶ。
その合間にも、舞うように流れる長い体は村人を巻き込んで傷つけていった。
体は硬く、槍も矢も弾いてしまい、柔らかい上半身を狙おうにも素早すぎて追いつけない。

楓は唇を噛んだ。
「これは枯れ井戸に追い落とすしかない。」
「枯れ井戸?」
「犬夜叉の森にある・・・」
言いかけた楓をかごめが遮った。

「森はどっち!?」
「東の・・・」
「あの光ってるとこね、わかった!」

叫ぶや否や、脱兎のごとく駆け出した。
「お待ちいいい。」
奇妙に語尾を引きずる甲高い声を発しながら百足上臈が後を追う。

あの娘 今なんと・・・。
楓は心に呟いた。
常人には見えぬはずの森の瘴気があの娘に見えるというのか?
「誰か馬を!」

楓が叫ぶと同時に利吉が馬を引いて飛び出してきた。
桔梗の死後激減したとはいえ、楓の村も妖怪の襲撃を受けることはある。
楓は常日頃村人を指揮して妖怪退治の訓練を行っていた。

この時も縄に結びつけた短い銛を肩に、男達が楓に続いて馬に飛び乗った。
松明を持った利吉が先導する。
この時代の闇は濃い。
漆黒の闇の中、迷いもころびもせずに走り続けるかごめの不思議な力、おそらくかごめ自身は気づいていないだろう。
そんな余裕はないに違いない。

あの娘は・・・
馬を叱咤しつつ楓は思う。
やはり・・・。

そして逃げるかごめがまさに森に到達したちょうどその時、永遠に解けぬ眠りについていたはずの犬夜叉の心臓がどくんと大きく波打った。
すーっと大きく息を吸い込み、ゆっくりと目を開ける。

「匂うぜ、おれを殺した女の匂い・・・
近づいてくる・・・」
髪がざわと逆立ち、鈎爪のように曲がった指がきしんでバキバキと音を立てた。
50年の眠りは犬夜叉にとっては一瞬の出来事に過ぎず、その瞳はなお怒りに満ちてこちらに向かってくる少女を 待ち受けているのだった。
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