「桔梗」の匂いがどんどん近づいてくる・・・。 愛しく恋しく慕わしく感じる心を無理矢理押さえ込み、犬夜叉は待ち続けた。 妖怪退治で桔梗がよく使う手だ。 かなわないから逃げると見せかけ、骨喰いの井戸に誘い込む。 しかし・・・。 「ん?」 犬夜叉はかすかに眉をひそめた。 もうひとつ、「桔梗」を追う妖怪の匂いは・・・、「百足上臈・・・?」 「つい先日」桔梗によって退治され、骨喰いの井戸に亡骸を捨てられたはずの百足上 臈がなぜ・・・? あの日、犬夜叉はもちろん妖怪退治には参加しなかったが、桔梗が危機に陥ったら助けようと、木の陰から見守っていた。 百足上臈の如き雑魚妖怪は桔梗の一矢で退治され、ほっと息をついた犬夜叉に不意に 桔梗が振り返り、村人達に気づかれぬようにそっと微笑んだ。 「気づいていたのか・・・・。」 その時感じた胸の疼きを思い出し、その桔梗に裏切られた怒りが燃え上がる。 犬妖怪は目よりも先に鼻が利く。 「桔梗」の匂いが迫って来てそれからさらに時間がたって、やっと遠目に白い影が走って くるのが見えた。 白い影は何度も転び、あわてふためいているのが「桔梗」らしくなく、危なっかしいのが さらに犬夜叉を苛立たせる。 「桔梗」がやられることを心配する気持ちと、なぜ俺を裏切ったのかと詰問したい気持ち とが心の中でせめぎ合い、ぎりぎりと歯が軋む。 しかし「あっ、また転んだ。 何やってんだ、桔梗のやつ・・・。」 散々心配させられてストレスも最高潮に達した頃、木々の間から「桔梗」が飛び出してきた。 同時に「桔梗」を狙って百足上臈の巨体がものすごいスピードで地を這い、 激しい風と百足上臈の体がぶち当たった木が、バキバキと音を立てて折れた。 「桔梗」を捕らえ損ねた百足上臈は再び空高く舞い上がり、地面には頭を抱えてうずくまる「桔梗」が取り残された。 ほっとすると同時に再び桔梗への怒りの気持ちが湧き上がる。 「百足上臈みてえな雑魚相手になにやってんだ?」 我ながら憎々しげな声に、顔を上げた「桔梗」がきょとんとしたように犬夜叉を見た。 何か言いかけたのを遮り、言葉を続ける。 「一発で片付けろよ、桔梗。 おれを殺った時みてえによ。」 本当は「桔梗」と百足上臈の戦いに巻き込まれて動けぬ犬夜叉が一番危険なのだが、犬夜叉は気づいていない。 真上から急降下してくる百足上臈の気配を捉え、「来るぜ。」と注意を上空に向けたが、時すでに遅く、素早い百足上臈の腕は「桔梗」を絡め取り、「桔梗」の悲鳴が響き渡った。 村の男たちを引き連れた楓が到着したのはちょうどその時だった。 「い、いかん!」 利吉の合図で男たちが一斉に槍を投げる。 獲物を捕らえたばかりで静止状態にあった百足上臈の上半身、柔らかい部分に槍はうまい具合に突き刺さり、男たちはその体に縄をかけて引っ張った。 その勢いで百足上臈の腕から逃れた「桔梗」が「た・・・ 助かった・・・」とため息をつく。 何言ってやがるんだ、こいつ・・・、犬夜叉を封印してのけたこの巫女のあまりの不甲斐なさに、苛立ちはつのる。 「へっ、ざまあねえな、桔梗・・・」 嘲ってみせると、「あんたねー」、むきになった「桔梗」が犬夜叉を睨んだ。 「人違いしないでよ、あたしは桔梗なんかじゃ・・・」 言いかけるのを再び遮った。 「ふざけんな! こんな鼻持ちならねえ(優しい)匂いの女、おまえの他に・・・」 「桔梗」を真正面から睨みつけた犬夜叉が突然気づいた、「桔梗じゃ・・・ ねえ・・・」 奇妙な安堵と寂しさが瞬時に犬夜叉の胸を駆け抜け、たった今まで桔梗だと思っていた少女から目をそらす。 「わかった!? あたしの名前はかごめ。 かっごっめっ。」 かごめの言葉も犬夜叉の耳には聞こえていない。 「桔梗はもっと賢そうだし・・・ 美人だ。」 思わず本音が口をつき、頬が赤らむ。 だが感傷に浸る暇もなく、百足上臈に振り切られた男たちが2人のすぐそばに落ちてきた。 百足上臈はまたもやかごめに襲いかかり、 かごめは必死で犬夜叉の長い髪を両手でつかんだ。 かごめと百足上臈と、2人分の力で引っ張られ、髪の毛が束になって引っこ抜かれそうな痛みに、犬夜叉は「いででで はなせっ!」とがなりたてたが、もちろんかごめが聞くものではない。 なお力を入れてしがみつく。 その声に男たちが犬夜叉が目覚めたことに気づいた。 「か、楓さま、犬夜叉が・・・」 利吉に言われるまでもない、楓は呆然としてなにやら叫び続けている犬夜叉を見つめていた。 「永遠に解けぬはずの封印が・・・ なぜ!?」 朝から楓を怯えさせていた予感はこれだったのか。 思わず懐に入れた言霊の念珠を握り締める。 何かが起ころうとしている・・・、立ち尽くす楓の前で百足上臈が「面倒だ・・・ この体・・・ 四魂の玉ごと喰ろうてやる・・・」と言うなりかごめに噛みついた、いや噛みつこうとした。 「四魂の玉・・・!?」 犬夜叉の中で、楓の中で一気に記憶が蘇る。 桔梗を非業の死に至らしめた魔性の玉・・・、美しかった桔梗、優しかった桔梗、そして血にまみれた桔梗の記憶が・・・。 そして今にも華奢な体を両断されそうになったかごめが、身をかばうように伸ばした手が百足上臈の面前で突然光を放った。 同時にかごめを捕らえていた2本の腕がぽろりとこぼれ落ちる。 村人の、楓の困惑はそのままかごめの困惑。 「どうしてこんなことが・・・?」 しかし地面に落ちて動けないかごめをさらなる危機が襲う。 怒り狂った百足上臈が今度こそかごめに噛みつき、空中に舞い上げた、と見る間に真っ赤な血飛沫が飛び散った。 次の瞬間、不思議な光が再び煌き、かごめの体から丸い水晶のような玉が飛び出した。 わき腹を押さえたかごめが地面に叩きつけられ、同時に目の前に転がる血に濡れた玉が転がる。 「やはり体内に隠し持っていたなああ。」 血に狂った百足上臈が猛然と玉に向かった瞬間響いたのは犬夜叉の叫び。 「その玉はおれの物だ!!」 かごめに向けられた声だった。 「よこせ!」 動けぬ体に力を込めて叫び続ける。 しかしかごめが動くより早く、百足上臈の長い体がかごめの体を救い上げると、犬夜叉に押し付け、体で幾重にも巻きついた。 「四魂の玉を狙う犬夜叉・・・とかいう半妖の小僧がいると聞いたが・・・ おまえかえ・・・」 勝ち誇った笑みを浮かべて百足上臈が問う。 百足上臈にとっても退治されてからの50年という年月はないものに等しく、きのう聞いた噂を思い出すがごとく犬夜叉を嘲笑しているのだった。 「なめんなよ 百足上臈。 てめえみてえな雑魚、おれが本気を出しゃあ・・・」 動けぬ犬夜叉の強がりはかごめにすら見抜かれ、百足上臈は相変わらずの揶揄を続けながらぺろりと長い下を伸ばした。 犬夜叉はもちろん、楓も男たちもどうすることもできず、 百足上臈が玉を飲み込んで束の間、あたりは奇妙な沈黙に支配された。 恍惚とした表情を浮かべて目を閉じる百足上臈。 四魂の玉、その力についてすごいものだという漠然とした認識はあっても、実際に使われるのを見た者はなく、ただ桔梗によって植えつけられた恐怖の記憶は、この場の空気を硬化させるに十分な緊張感に満ちていた。 やがて・・・ 地面に落ちていた百足上臈の腕が不意にザワザワと動き始めた。 みなの視線が一斉にその腕に注がれる。 腕はいきなり宙を飛び、百足上臈の体にくっついた。 それどころか楓たちはまだ知らなかったが、かごめが井戸の中でもぎ取った、ここにはないはずの腕までが復活したのである。 驚く間もなく、今度は百足上臈の皮膚がバリバリと音を立てて裂け始めた。 辛うじて人間のような姿形を保っていたその上半身も、まるで皮膚をはがれて筋肉組織がむき出しになった標本のように赤黒く、ぬめぬめと蠢き、生臭い匂いを放つ。 「嬉しや・・・ 妖力が満ちてくる・・・」 より醜悪になった外見に嬉々としていた百足上臈が不意に体に力を込めた。 犬夜叉とかごめの体がぎりぎりと凄まじい勢いで締め付けられる。 「この矢・・・ 抜けるか!?」 犬夜叉苦しさのあまり、歯を食いしばって犬夜叉にしがみついているかごめの頭上にに低く声を落とした。 「抜いてはならん!」 咄嗟に叫んだのは楓、かごめが抜けると知っている自分に戸惑いながらも、ここで犬夜叉の封印を解かせてはならない、その気持ちの方が強かった。 ここで犬夜叉の封印を解いてしまったらきっと何かよくないことが起きる。 それは巫女としての楓の予感ではなく確信だった。 しかし「そいつが四魂の玉を完全にとりこんじまったら終わりだぜ!!」 犬夜叉の声は容赦ない。 「どうした女! ここでおれと死にてえか!?」 |