「うしおととら」感想 4
9月26日 うしおととら 外伝
「うしおととら」感想も残すところ33巻1冊となったが、最終回の感想書いてからではとても外伝感想書けなそうなので、 先に外伝の感想を書いておきたい。

外伝は全部で6篇。
ダークなとらと、無明と吹雪の純愛の妙が冴える「妖今昔物語」。

「桃影抄〜符呪師・ヒョウ」では、優しい普通のお父さんだったヒョウが符呪師になるまでの過去が描かれる。
ミンシアに心惹かれつつも復讐のために去って行くヒョウ。
これも美しく悲しい物語だが、本編でヒョウが潮をここに連れてくる気になったのには首を傾げた。
結果的に2人がここに来ることはなかったが、潮の修行のために来るような場所ではないだろう。

ところでこの外伝、連載終了後に描かれたのだろうか?
このヒョウの過去編はずいぶん絵が甘いというか、昔、連載の合間のまだ絵が完成されていない頃に 描かれた作品のように見えるのだが。
「妖今昔物語」のとらには耳あるし。

「里に降る雨」では紫暮と須磨子の過去が描かれる。
2人が出会い、須磨子が「お役目」の務めを果たすため去るまでの物語。

実力がありながら獣の槍に認められず、荒れる紫暮が新鮮?で意外。
ただ「うしおととら」を読んでいてずっと思っていたのは、「獣の槍」は実力があれば誰でも持ち主となれると、全ての人が 考えていたのかということ。

最後まで読み切ると、「伝承者」という言葉は、正しい持ち主(蒼月潮)にたどり着くまでに槍を受け継いでいく、あくまでも 通過地点に立つ者という印象を受ける。

光覇明宗が、あくまでも「獣の槍」の所有者足る実力が身につけば、日輪や流でも扱えると考えていたのなら、それは無駄だったし、 「伝承者=正当な所有者まで引き継ぐもの」として育てていたのならそれは彼らにとっても残酷な話だ。
まあ実際に何人も使い手は現れているから、日輪たちにも100%無理とは言い切れなかったろうが。
今回の外伝を読んで、二代目のお役目様日崎御角はジエメイとの関わりによって、「獣の槍の正当な持ち主は蒼月潮である」ことを 知っていてもおかしくないのに、その辺は未だによくわからない。

ただコンプレックスに悩んでいた日輪や、取り憑かれた悟などはその時点でもしかしたら獣の槍の持ち主になってもおかしくなかったかも。
正当な持ち主ではなく、伝承者には、実力能力よりも、ある意味「負の心」が必要だったから。

私が一番好きなのが巴御前が出て来る「雷の舞」。
ストーリーもさることながら、あの頑ななまでに人間の名前を口にしようとしないとらが潮や真由子など、現代関わりの強い数人を除き、 唯一口にしたのが「巴御前」。

以前「犬夜叉」感想で書いたかな?
人間は妖怪に好きに名前をつけたり、気軽に名前を呼んだりするけれど、妖怪は人間の名前を呼ばない設定が多いようだ。
それだけ人間は妖怪に親しみを持っており、逆に妖怪は人間と関わらない、あるいは「餌」としか見ていないという前提があるのかなと思っていた。
それを決定した作品(小説など)があるなら読んでみたいが、未だにわからずにいる。

それだけに「仲間」として認めた時、初めてその名前を口にする。
実際真由子の名前を最初は言いづらそうだったので、人間の言葉、名前は言いにくいのかな?と思ったが。
私の記憶に間違いがなければ、麻子ですらとらに名前を呼んでもらったことはないのではないか(女潮とか呼ばれてたが、笑)。

巴御前は切ない恋に身を焦がしながらも凛々しくかっこいい女性だが、巴御前ととらの関わりは、巴御前の心にとらが強い印象を残すものの、 それほど深いものではない。
とらにしてみれば、自分の目的に都合がいいからちょっと利用したくらいのものだったろう。
それでもとらと巴御前の「雷の舞」は清々しい余韻を残す。

とらが巴御前を襲わずに「いつの間にか消え」、でも名前をうっすらと憶えているという設定はこの巴御前が大好きな私には嬉しいことだった。
本編で名前だけ出て来た巴御前をこんな形で読めるとは。
でもとらの目に点を描くだけで急に小者に見える不思議、これには笑った。
とらは「白目」なのだが、それだけでいかに様々な表情を表現していたかがわかる。

「プレゼント」は潮と麻子が可愛い佳作。

最終話「永夜黎明」はとらが封印された時の話。
獣の槍の使い手は草太郎。
これまでとらが戦ってきた人間の中では最強で、とらも大苦戦。
ところが草太郎は戦うことが怖くて仕方がない気弱で優しい青年だった。

そんな草太郎を好いてくれるみさを。
けれども草太郎は獣の槍の所有者となってしまう。
すでに妖怪化が始まり、人として生きることを諦めた草太郎は、人身御供にされていたみさをを助け、再びとらと戦おうとする。
おんな草太郎を見て、とらの脳裏に「ラーマ姉弟」の面影が浮かぶ。

あえて獣の槍に貫かれ、草太郎を解放したとら。
眠りにつくとらに、草太郎は「おまえにもいつか、背後を守る者が現れるかもなァ」と言葉をかける。
とらもいつかたった一人ではなく、ふたりで一人と言える存在が現れる、その予言。
そして永い眠りの後、とらは潮と出会う・・・。

ここまで来るとまた1巻から読み返さずにはいられない。
(2014年9月26日の日記)
7月21日 約束の夜へ
約束の夜へ、そして潮が待つ約束の海へ。
タイトルを読んだだけで涙ぐんでしまいそうなこの章では、ヒョウの最後が描かれる。
見知らぬ母と娘を守るために、ただ一人紅煉との最後の戦いに挑む。

幸せが待っているはずだった
だけど
待っていたのは

暗黒の淵と
蒼い目が呼ぶ
復讐の日々

自らの命と引き換えに、ヒョウは遂に復讐を遂げる。
「憎しみは何も実らせない」
この言葉をヒョウに言える者はいないだろう。

ただ一人、満身創痍の体で戦って、ヒョウはただ一人死んでいく。
いえ家族の元に帰って行く。
死の間際、潮を思い出し、別れを告げて。

見知らぬ母娘を守ったけれど、誰もヒョウの死を知らず、それでも穏やかな笑顔で死に逝くヒョウ。
ヒョウはそれで満足だろうが、読む者の心には、深い深い悲しみを残す。
(2014年7月21日の日記)
7月11日「鳴動天 開門す」
白面の者との最終決戦、ハマーはキルリアン振動機「トランプ」起動。
人間と妖怪の和解を潮の笑顔は、白面の者への恐怖を消し、小夜は冥界の門を開く。
一気に盛り上がる潮たち、でもそこで潮はとらの「死」を知ってしまう。
驚愕、悲しみ、でもそれは潮の闘志を損なうものではなかった。

たとえ獣になってしまうとしても、たった一人だとしても潮は戦う。
その覚悟にもう涙が止まらなかった。
名場面で泣く作品、読み終えて泣く作品は数あれど、もう泣きっぱなしの作品って「うしおととら」 以外なかったなあ。

まず32巻の表紙、可愛いとらに泣き、中を読んで泣き、読み終えて本を閉じて表紙をまた見て泣いた。
変な言い方だけど、ストレスをため込んで気持ち良く泣きたい時ってある。
「うしおととら」読んで大泣きしてさっぱりすることがよくあった。
悲しいけれど気持ち良く泣ける稀有な本。

でも一番驚いたのは小夜が「冥界の門」を開く場面。 以前京都の六道珍皇寺について情報を頂いたことがある(「 境界のRINNE感想」参照)。
ここには冥界への入り口があり、「六道の辻」があり、しかも冥界との行き来を井戸でするということで、 「犬夜叉」と「境界のRINNE」と「うしおととら」がコラボしたような垂涎物の場所なのだが、小夜がいるのは遠野。

柳田國男著「遠野物語」には「デンデラ野」という姥捨て山のような地があり、そこが冥界とのつながりをイメージさせるが、 「うしおととら」の雰囲気ではないかも。
冥界の門をくぐって出て来たのは白面の者と、潮ととらに関わり、死んで行った者たち。
小夜の力により開けられた冥界の門を通って愛する者を救うために戻って来る。

とらを失っても潮は戦う。
獣の槍は戻って来たが、やはり足りない、とらが足りない、もどかしい。
ここまで来ると最終回まで読み切ってしまう、そしてまた泣く。
もうどうしようもなく泣ける作品だ、「うしおととら」は。
(2014年7月11日の日記)
7月1日「降下停止、浮上」
初読でどんなに涙しても、何度も何度も読んでくうちに泣かなくなる。
読んでも読んでも泣けてしまう稀有な作品のひとつが「うしおととら」。
なんか突然10代の純粋だった、同時に不安定だった頃の自分に戻ってしまうような気がする。

キリオが見て来たとらの過去は潮や真由子たちに衝撃を与える。
そして憎しみに捕らわれていた潮もやっと自分を取り戻した。
32巻の表紙、紅蓮の炎に包まれていた31巻とは打って変わって緑と日射しの中でのどかな顔してうずくまっているとらがいる。
読む前にまずここで泣いた。

白面の者を生み出す悲劇に合わなかったら、シャガクシャは人のいい若者に育っていただろう。
とらになってさえ、苛烈な性格の裏に子供のような純真さと無邪気な好奇心、さりげない優しさを隠し持ってるとらだもの。
潮と決別したとらは、日本中を破壊しまくる白面の者に挑んでいく。
潮が、真由子が、キリオがとらの過去を知り、決意を新たにしたことも知らず、たった一人で挑んでいく。

その頃小夜は、自らの力を利用して何事かを始めようとしていた。
5人の少女の中で弱く、頼りなく見えた真由子と小夜の活躍が素直に嬉しい。
そしてタツヤ、詩織、潮ととらに関わった子供たちがまず力づけられ、記憶を取り戻した麻子たちも潮ととらの力となる。
メディアの力も得て日本全体がまとまりつつある中、とらだけが危機に陥る。

弱いのではなく、寂しいのだ。
潮がいないだけで、とらは普段の力を出し尽くすことができない。
遂に白面の者に噛み砕かれてしまったとら。
浮上したのは潮だけ。

この後どうなるのか、とらはまだ生きているのか。
この作品は潮がとらの敵討ちのために普段の倍の力を出して白面の者を遂に倒すが、自分もとらに続いて字伏になるなんて エンディングになってもおかしくない作品だから本当に気が抜けない。
(2014年7月1日の日記)
6月23日「獣の槍破壊」〜「とら」
憎しみに心を捕らわれた潮が白面の者に突き刺した獣の槍は、遂に破壊されてしまう。
絶望の中、海に落ちて行く潮、全てを見ていたとらや真由子達。
読者もまた、このまま白面の者勝利で終わってもおかしくないような絶望感に捕らわれる。
その中で麻子と性格が逆転したかのような真由子がとにかくかっこいい。

そして帰って来たキリオが真由子達に自分の見て来た記憶を伝える。
海中で意識を失っているはずの潮もまた同じものを見ていた。
炎に包まれた異国の風景、誰かを抱きしめ、慟哭しているとら。

とらの出生の秘密、とらの正体、とらが字伏になった理由。
見てはならぬ物語。
呪われた運命の元、憎しみと共に生まれた一人の青年は憎しみと共に生きる事しかできない。
その目は憎しみに曇り、戦うことでしか生き抜けない。

そんな青年シャガクシャが出会ったのがラーマとその姉。
心優しく美しい娘と、真っ直ぐな目をした弟。
彼らの無条件の敬愛は、シャガクシャの心をほんの少しだけ和らげる。
「憎しみは・・・何も実らせません。」

闇に彩られていたシャガクシャの顔が少しずつ描写され始める。
そしてシャガクシャは笑った、ほんの少しだけ。
そして起こった悲劇。

シャガクシャの肩を抉って生まれた白面の者、白面の者を追って終わりのない旅を続け、最後にキリオに会って とらに生まれ変わったシャガクシャ。
潮とキリオは全てを見て、須磨子や真由子もとらの過去を知った。
ラーマは潮に、姉は真由子に何故か重なる。

でも潮でなければならなかった、とらでなければならなかった。
潮ととらでなければならなかったと改めて思い知らされる。
潮、浮上する。

そのまま31巻の最後五十一章其ノ壱「降下停止」まで読んで、さらにその先まで読んでしまった。
全くこの人は・・・。
(2014年6月23日の日記)
6月9日「雷鳴の海」
流の突然の裏切りに翻弄される潮、無数のの妖怪と白面と、そして幾多の人間が集まる混沌の海。
死闘の舞台は雷鳴の海。
そして流を殺したとら、そして全ての怨みを白面に持ってしまった潮の憎しみの海。

流の想いをくんで、あえて悪役になってみせたとら。
潮はその真意をくみ取るのはあまりに追い詰められていて、そしてまだ幼い。
わかってはいてもむき出しの憎しみをぶつけられたとらもまた、辛そうだ。
潮ととらの信頼関係はそんなものではなかったと信じたかったが。

あやかし、シュムナ、そして斗和子。
潮ととらが倒したはずの妖の「復活」は潮ととらに衝撃を与える。
これまでの戦いは何だったのか。
彼らの前で、とらはあまりにも小さい。

とらが巨大化する妖ではなかったのは効果的だったと思う。
とらが強さはともかく、妖の前で存在自体は小さいことが死闘にさらに感動を与える。

とらと決別した潮は母と再会するが、その再会はさらに潮を追い詰める。
白面と対峙する母須磨子に寄り添うのはジエメイと真由子。
最終決戦に入ってから、麻子が恋する乙女の柔らかさを見せるのと対照的に、真由子がお役目としての凛々しさを見せる。
「新参」と馬鹿にしたように呼びつつも、その力を認める白面。
ここの真由子が本当に好きだ。

究極の悪役としての白面のスケールの大きさと深さで30巻辺りからの盛り上がりが凄い。
でもここで白面を憎めば憎むほど、最後の感動が大きいんだよなあ・・・。
今回の「雷鳴の海」の最後に、白面に突き刺した獣の槍が粉砕される。
(2014年6月9日の日記)
5月19日「雨に現れ、雨に消え」〜「混沌の海へ」
戦闘で家が壊れ、拠り所を失った潮。
身の回りの整理をすませ、とらと最後の戦いへと旅立つ。
潮ととら、不帰の決意を秘めたのはどちらの心か。
潮だろう。

とらは最初から帰らないことを知っている。
負けたら死、それは当然として、勝ったらとらという存在そのものが消滅することを知っていたのだろう。
最終回を読んでそう思った。

潮はやはり、負ければ死。
勝ってもおそらく潮は人ではなくなる、その覚悟。
潮は帰ることは許されない、その覚悟。
でも麻子と再会し、最後に気持ちを伝え、満足して潮は旅立つ。

ここからの流登場は驚いた。
何やってんだ、この人は。
確かに凄まじい葛藤に、今の流の性格を形作った過去、潮に対する恐れ、わからないわけではない。
むしろロマンすら感じる。

でもやっぱり許されることではないと思う。
その想いを潮ととらじゃなくて、白面の者に向けなよ、そこで全力尽くしたら、それだけで流は潮の「目」に応えられる存在になれるよって思った。
何よりも、今潮の母の命が危ないことを、そして日本が沈もうとしていることを、流が知らないわけがない。
究極の利己主義だ、むしろ断罪されるべき。

流が勝ったら日本は滅びるし、とらが勝っても、潮ととらの絆は壊れる。
それで白面の者に勝てるわけはない。
それを知っててなお、とらに挑む流。
この時の顔は本当に怖かったし醜かった。

それにしても見た目とは裏腹に、要領の悪い性格だったんだな、流。
天才であるがゆえに皆に憎まれ、やる気のない飄々とした性格に見せて行く。
がんばってるけどできない、そんな風に見せることはできなかったのか。
さらに反感を買うこともわかっていなかったのか、流のために悲しいと思う。

同時に、天才だろうが何だろうが、獣の槍の伝承者候補という地位は、そんなに甘いものではなかったと思うし、そこでこそ全力を尽くすべきだったろう。
日輪たちにも失礼だ。
潮こそ流を変えるべき存在だったと思う。
そこまで見越した上で、白面の者が流を負の方向に向けさせたのなら凄いと思う。

ただ、流の死まで読んで、もしかしたら流は何もかもわかっていての裏切りだったのかもしれないと思い始めた。
たとえ流が潮ととらを裏切り、とらを足止めしたところで、潮ととらの勝利に変わりはないことを。
たとえとらに流が殺されて、潮ととらの絆が壊れても、最後に2人は互いへの信頼を取り戻すことを。
とらが手加減できないほど苦戦し、半端に勝たず、流を殺してしまうことは、流にとっては望むところだったのだろうと。

そう考えないと悲し過ぎるし、あの「囁きの家」での命を懸けたことはなんだったということになる。
同時にあそこでの流は敗北であり、天才かどうかは基本的に関係ない。
潮が命がけの戦いを続けて得たものを、流はちゃんと見極めるべきだったと思う。
見極めたからの「裏切り」だったのかもしれないが。

連載当時の年齢で読んでいたら、そして私が男性だったら、また感想も変わっていたかもしれないが、私はこの時の流に大きな悲しみを覚えた。
でも流の裏切りでストーリーが破たんせず、むしろ大きく盛り上がったのはさすがだと思う。
「だから弱っちくてキレエなんだよ・・・ 人間は・・・」
流を、ヒョウに会わせたかったと思う。
(2014年5月19日の日記)
4月26日 チルチルの青春
メーテルリンクの「青い鳥」と「チルチルの青春」を読みました。
「青い鳥」は子供の頃読みましたが、あらすじしか覚えていなかったので再読。
驚いたのが、子供の時読んだのは普通のお話だったのが、今は戯曲しか見つからず。
「青い鳥」は元々戯曲=童話劇だったんですね。

私が読んだのは、子供向けにアレンジしたものだったんでしょう。
でも戯曲は読みなれないせいか、すごく読みにくかったです・・・。

さて「チルチルの青春」。
「月光条例」読むまでは、その存在すら知らなかった本です。
読んでみて思ったこと。
もし「哲学的」という言葉を言葉で説明しなさいと言われたら難しいけれど、これからは「この本を読んで下さい。」と言えそうに思います。

ちょっと逃げに入りそうですが(笑)、言葉で説明できなくても感覚で理解できる気がします。
「青い鳥」ではネコやイヌ、火、水などと言葉が通じるようになり、共に旅をしたチルチルとミチルですが、今回はミチルは出て来ません。
まあ「月光条例」であらすじをまとめてますが、話はシンプル。
まさに「青年になったチルチルが、彼に恋する娘たちと旅をしながら、本当の恋人を見つける話」です。

おもしろいのが「月光条例」で木こりの娘ミレットは赤ずきんに、市長の娘ロザレルはシンデレラをイメージされますが、もちろんこの2人は 月光に恋してはいません。
あえて2人月光の恋人候補にせず、「赤ずきん」「シンデレラ」という有名な、そしておそらく藤田さんが大好きな物語の登場人物を 選んだところ、すっきりして良かったなあと思いました。
赤ずきん、シンデレラ、鉢かづき、そんごくうが好きでした。

でも「チルチルの青春では出て来る娘達が、みんなチルチルの事大好きで、ほとんどハーレム状態、笑っちゃいました。
チルチルも真面目だし、物語も真面目なんですけどね。
チルチルは自分の先祖、そして子孫に会って、本当の恋人を選んでもらいます。
自分で選びたいと思うチルチルですが、先祖が、子孫が選ぶこと、それはチルチル自身が選ぶこと。

この辺はシンプルな物語でいて難しいです。
そしてジョイ。
最後まで正体のわからなかった娘、そして最後にチルチルが選んだ娘がジョイでした。
その正体は・・・、物語はここで一気に前作「青い鳥」とつながります。

出て来る娘たちはみんな魅力的で、チルチルじゃなくても迷いそうですが、最後のジョイの正体を知る場面は素敵です。
「月光条例」でも「名前を、ジョイ・・・と言うの。」の場面のエンゲキブはとっても素敵でした。
エンゲキブのキャラ付け、もう少し違っていたらなあととても残念でした・・・。
藤田さんの作品に出て来る元気な女の子は、いろんな意味で元気すぎて、ちょっと苦手。

「うしおととら」でも真由子が好きだったし、「月光条例」最終回でも「クドーさん、それよりココぜんっぜんわかんねーんだけどよ。」の場面の 伽耶の表情が真由子っぽくて好き。
サブヒロインの大人しめの女の子の方に感情移入しちゃうんだよなあ。
最終回の元気だけど、寂しげな雰囲気を漂わせるエンゲキブは好きだ。

でも「チルチルの青春」を読んだことで、どうしても受け入れることができなかった「月光条例」を描いた藤田さんの想いにちょっとだけ 触れることができた気がします。
個人的には「チルチルの青春」より「青い鳥」の方が難しかったです。
子供の頃は、何を学ぶでもなく、ただストーリーを追っていたからあまり覚えていないのかも。
「オズの魔法使い」などと同じで、動物や無機物と意思疎通ができる、そのおもしろさでした。

余談だが、「チルチルの青春」は現在絶版、私は図書館で借りました。
「月光条例」最終回の頃は確か1,2冊中古?で残ってたが、千円単位、万単位でびっくりしました。
もう残ってはいないようです。
「月光条例」効果でしょうか。
(2014年4月26日の日記)
4月10日 終わりのない最終回〜月光条例
少年サンデーで連載されていた「月光条例」が今週号で完結した。
藤田さん、本当にお疲れ様でした。

私はこれまでも何度か書いたように、「月光条例」には「うしおととら」ほどはのめりこめなかった。
理由は、作品が「うしおととら」でないから、主役が潮ととらではないから、だったと思う。
「犬夜叉」を読み始めてから「うしおととら」を知ったので、うしとらファンの中では新参者だと思う。
それだけに「うしおととら」の印象が鮮烈過ぎて、未だにそれ以外の藤田作品に目がいかない状態。

ちなみに「からくりサーカス」は連載当時はサンデーを買っていなかったので、ほとんど読んでいない。
サンデー買い始めても、「犬夜叉」しか読んでいない状態だったから、終盤だけちょっと読んだかな?

でも「うしおととら」の影響だけではなく、絵の変化、そしてラスボスオオイミの魅力のなさが大きかった。
白面の者と比べているのではない、見た目のかっこ良さを求めているのでもない。
ただ悪なら悪、敵なら敵としての憎めるほどの、魅力は欲しい。
ねじれた男、ゆがんだ男で、月光を引き立てるだけの敵だった。
この気持ちは最終回を読んでも変わりはない。

でも最終回、月光に対する気持ちは変わった。
というより作品に対する気持ちが変わった。
オオイミを倒し、月光とエンゲキブは戻って来てハッピーエンドだと思っていた。
でもそうではなかった。
月光はオオイミと共に消えた。

「おとぎばなし」も蘇ると思ったから、正直おとぎばなしのキャラの死に様を読んでも、冷めた部分があったと思う。
けれどおとぎばなしは蘇らず、再び生み出された。
私が一番感動したのはここ、そして全ての物語がただ一冊の本、メーテルリンクの「チルチルの青春」につながること。
ああ藤田さんはこれが一番書きたかったんだなとしみじみ思った。

最後の語り手が伽耶なのも、彼女が一番好きな私にとっては嬉しい驚き。
それと最後に桃太郎の元気な姿を見れたのが嬉しかった。

ただこの物語、終わったようで終わっていない。
一番大きな不満は、どうして月光とオオイミの部分をきちんと描いてくれなかったのか。
伽耶によって、月光がオオイミを殺さずに倒し、新たな王となってオオイミの世界を救ったことはわかる。
けれどなぜ?
戦闘部分を少し減らしてのいいからきちっと描いて欲しかった。

ふたつめは、重要な立ち位置にいたと思われた、私が二番目に好きな鉢かづきがそのまま触れられることなく終わっちゃったこと。
彼女の鉢にはもっと深い意味があり、彼女の立ち位置も他キャラに比べて特殊だと信じていたから、最後に何かがあると思っていたのに・・・。

みっつめは、最後までエンゲキブがエンゲキブであったこと。
最後に「ジョイ」と素晴らしい名前がついたけど、それだけではなく、彼女に現実の名前(トショイインから伽耶になったように)をつけてあげて欲しかった。
最終回には足りない、まだまだ足りないよ、藤田さん。

でもだからと言って、全てを描き切った藤田さん、コミックでの「大幅な加筆修正」が物語の根底に関わる部分の付け足しになることは望まない。
終わりはなくても「月光条例」は終わったのだから。
もう一度最初から通して読み返したいなあ。
いろいろな伏線、サンデーでは気づかなかった伏線を少しは読み取れるようになるだろうか。

私が一番好きだったのは、伽耶がプール掃除をしている月光と語り合う場面。
気は強いけどおしとやかな女性だと思っていた伽耶の思いがけない大胆さに、私も月光と同じくらい驚いた。
実はこっそり伽耶の想いがかないますようにと願っていたことは内緒(笑)。

次回作はどんな物語になるのだろうか、今から楽しみ。
(2014年4月10日の日記)
3月25日 雨に現れ、雨に消え−1
この期に及んで新たな伏線散りばめて、「うしおととら」描いてた当時の藤田さんはどんだけ勢いに乗ってたんだと聞きたくなるほどの物凄さ。
しかも最後には全ての伏線きっちり回収して終わらせたんだから、でっかい感動をつけて。

妖達のための死闘も報われることはなく、潮ととらは妖達の元を去る。
その直前にとらと九印の喧嘩を見て泣くほど笑ったが、たとえ洗脳されても潮ととらにむき出しの悪意を持つ者と持たない者の差の大きさが不思議。
たとえ麻子を使って獣の槍を作ったとして、誰がそれを使うのか、使えたところでこれほどの力を引き出せるのか、ジエメイに問いたかったが、 潮ととらは彼女をも責めることはしない。

潮ととらが麻子の元に来る前に、ジエメイと真由子はお役目様の務めを果たすためにその場を去る。
潮、とら、キリオの悔しそうな表情。
ずっと麻子や潮がうらやましかったと言っていた真由子だが、彼女もまた2人と1体にこれほどまでに想われてるんだからなあ。
小夜の優しく、強い言葉も心に残る。

ここで気になる人物が登場する。
どう見ても流、潮ととらを遠くに見ながら、宣戦布告とも思える発言をする。
とんでもない事件の始まりだったが、ここは私は気楽に考えていた。
彼もまた碑妖に洗脳されているだけ、いつか元に戻るだろうと・・・。

全く気づかないまま潮ととらはキリオといったん別れる。
小夜のときもそうだったが、キリオもまた変わった。
キリオは潮と真由子によって変わった、いいなあ。
相変わらず危機感一杯の展開なのに妙にほのぼのしたりおかしかったり。

この頃麻子は潮を追って病院を抜け出すというとんでもない無謀に走る。
そして潮ととらは守矢に再会、ああ再会したのは私達だけで、潮ととらは初対面か。
でも守矢に同行した潮たちは流に襲われる。
完全に敵対することを宣言した流。

漫画としては申し分ない展開だが、己の欲望のために、全人類の未来を踏みにじる行為に出た流は正直許せない。
一方偽ジエメイに騙された厚沢の背景も語られて、でも勇がとても明るい顔になっていて嬉しかった。
潮に会い、厚沢への誤解もとけて、勇も本当にいい表情をする少女になった。

でも全てはジエメイに化けた者のしわざ。
似ても似つかぬ邪悪な顔が怖い。

病院を抜け出した麻子は意外な三人組に出会う。
この緊迫した状態でメインを張るに大丈夫?と心配になる懐かしい三人組。
さらに潮ととらも意外な人物と再会する。
「うしおととら」いは通り過ぎるだけの人物はいない、その思いが強く出るエピソードが続く。
(2014年3月25日の日記)
2月28日 季節石化−2
自分たちを裏切った、麻子を殺そうとした妖たちのためにただ一人で戦う潮。
碑妖のせいで悪意はあっても、ただ茫然と見守るだけの妖たち。
潮が気になり、同時に真由子が自分を忘れてることにすねてるとら。
前回の失敗を相殺するかのようにとらをおだて、「ずるい」笑顔を見せるジエメイ。
久々にクールな強さを取り戻したキリオ。

かっぱお懐かしいエピソードも飛び出して、もう涙腺がゆるみっぱなし。
1人では勝てない、2人揃えば最強、それが潮ととら。
でも2人の戦いはあまりにむなしい、今の時点では。

正直潮も人が良すぎると思うが、だからこそ獣の槍の伝承者たり得るのだろう。
でもここに来て話がここまで盛り上がるのは、紅蓮、そして白面の者の悪党っぷりが素晴らし過ぎるから。
1ミリの良心もない徹底的な悪、その容赦なさはむしろ清々しいほど。

満身創痍の潮ととらを残して紅煉はいったん去り、傷ついた者たちだけが残される・・・。
(2014年2月28日の日記)
2月7日 季節石化−1
なんてことになってしまったのか、と驚愕の27巻。
まずはとらが潮を覚えていることが嬉しかった。
でもとらも潮を忘れてれば、潮はもう立ち直ることはできないと思うので、あえてやらなかったのではなく、 記憶をなくすことができなかったのだろう。

でもとらが信じていた真由子も、そして真由子によって癒されていたキリオも潮ととらを忘れてしまった。
傷ついたのは潮とそしてとら。
妖たちが真由子を使って新しい獣の槍を作ろうとしていることを知ったとらは怒り狂う。

そしてあまりに惨い展開が待っていた。
真由子の代わりに自分が槍になろうと申し出る。
その方法は灼熱の炉の中に飛び込むこと。
麻子の友情の深さを感じるが、何度も読むとここは実はかなり苦しい展開でないかと思うようになった。

妖たちはともかく、ジエメイ、人間を使って槍を作ったところで、それが獣の槍と同じ力を持つと思うはずがないと思う。
ギリョウの呪いは長い長い時を越えてなおその力を保ち続ける。
そしてその槍を、潮が使うからこそ力を発揮する。
仮にここで槍ができたところで誰が使うのか。

「正常な判断能力がない」妖たちはともかく、ジエメイにそれがわからないはずはない。
それができるとしたところに破たんを感じる。
麻子も身代わりはともかく、自ら歩いて飛び込むなど、人として凄すぎてむしろ実感がわかない。
真由子が落とされる瞬間に飛び込む展開だったら、いかにも麻子らしいと涙することもできたと思う。

でもそれだと潮が助けるのが間に合わなくなるんだろうな。
記憶がないにもかかわらず、かがりが薬を使ったことがこの場の唯一の救いだった。

そしてもう一人、重要なキーパーソンとなるのが小夜。
たまたま自分が作った結界の中にいたため記憶を喰われずに済んだ小夜は、オマモリサマや時逆、時順を通して潮を助け、事情を話す。
全てを知った潮ととら。
小さなことだが、あのかっぱも潮ととらに薬を分けてくれていた。

記憶を喰われたからと言って、誰もが潮を憎むわけじゃない。
潮ととらに、まだ仲間はいる。
自ら石化して記憶を喰われるのを防いだ紫暮たちや字伏たちもいる。
傷ついた体でなお紅煉に襲われる妖たちを助けようとする潮。

その思いが伝わる日があることを信じつつ、初めて読んだ時はここで読むのをやめることができず、最終回まで半泣きで 一気読みしたことを思い出した。
なのに最終ページ、これだよ(笑)。
なにげに勇がいないのが可哀想・・・。
(2014年2月7日の日記)
1月25日 風が吹く前−2
きついなあ・・・。
潮が一番こたえる形で攻められる。
特に麻子、本当にきつい。
潮もこんな時はがむしゃらに突っ込んでも逆効果なのに、持ち前の性格からなかなか冷静になれず、どんどん墓穴を掘って行く。

何かおかしいと、もしかしたらと気づくべき。
まあそんな潮は潮じゃないか・・・。
麻子の両親の優しさが、さらに辛い。
気になるのは紫暮、真由子、そしてとらが出て来ない事。

この時点ではまさか全員が潮の記憶をなくすとは思わなかったが、この後あれほど潮を好いていた妖たちまで潮の存在を 忘れてしまったことを知り、潮を知る全ての人や妖が潮の記憶をなくすのだと知った。
そしてとらも、潮を忘れ、潮と敵対するんだろうと思った。
でも物語はそんな単純じゃなかった。

潮に残ったごくわずかの救い主が後で登場する。
この流れで気になったのだが、麻子や横尾、中村は潮の態度に問題ありだからともかくとして、他の人たちが記憶がないだけでなく、 潮に悪感情を持つように仕向けられているように思えたこと。
潮の記憶をなくし、出会った時は憎悪を向ける、そんな風に仕組まれていたとしたら・・・。

潮のためには本当に辛いけれど、敵としては見事、そして作者としても見事。
「うしおととら」には何から何までしてやられた感が強い。
(2014年1月25日の日記)
12月14日 風が吹く前−1
「日常風景」での麻子と真由子と礼子が可愛過ぎて、「風が吹く前」はただ楽しく読んだ。
特に麻子が可愛いを通り越して「綺麗」に感じたのは初めて。
潮と公園の前でばったり会い、最初はいつもの口喧嘩から始まるも、「来年が来ないかもしれない」ことを感じた潮が 初めて「素直な」優しさを見せる。
送ると言う潮の申し出に「うん!」と嬉しそうに答える麻子。

でもそこで風が吹く。
風が吹いて麻子に何かが起こった。
26巻の時点では、麻子に何が起こったのかはっきりわからない。
ただ「誰・・・・・・ あなた!?と問う麻子の言葉と、麻子の脳裏から消えて行く潮の記憶が重大な危機を感じさせる。

でもこの時はまだ潮が獣化しかけた時のように、一時的なもので記憶がある者たちの手によって問題は解決すると思っていた。
ここからあんなに長い間、あんなに残酷な展開になるとは夢にも思わなかった。
潮の一番弱い部分を狙った一番効果的なやり方。
ここでの麻子が綺麗で素直で素敵なだけに、この後の豹変が潮を打ちのめす。

一方同じくらい嬉しい場面が真由子とキリオ。
キリオは紫暮に頼まれて、真由子の家に引きとられていた。
確かに紫暮と一緒だと、紫暮は良くてもキリオの方で萎縮しそう。
真由子の母は常識人ぽいが、父がまたわけのわからないおもしろさのある人だ(笑)。

でも母の心配をよそに内気なキリオもなんとなく馴染んでいる。
そして起こしに行った真由子の部屋で大ショック。
真由子好きだなあ。
意識してない天然さんなところが特に好き。

このまま幸せな日常風景を延々描き続けたとしても楽しめそうなおもしろさがある。
それだけに真由子やキリオも襲われる過酷な運命が読んでいて辛かった。
(2013年12月14日の日記)
12月3日 三日月の夜
紅煉との死闘の後の束の間の安らぎ。
潮と杯を酌み交わし?とらと大人の会話を交わす。
とらでさえ驚くヒョウの装備。
最初から刺し違えて死ぬことだけを考えて生きているヒョウ。

でも、そのヒョウが少し変わった。
紅煉を殺し、復讐を果たしたら、その後の事も考え始める。
そのことを指摘するとらは、ヒョウに「どじるなよ(死ぬなよ)」と言う。
変わったのはヒョウだけではない、とらも変わった。
様々な余韻を残して三日月の夜は更けて行く。
この後ヒョウが生きて潮ととらに会うことはない。

潮はいい子だなあ、羨ましい子だなあと思った。
もちろん背負わされた過酷な運命は別として、好かれるように生まれついている子、人のために生きるようにできている子。
なんて幸せなんだろう。
でもその幸せが、何千倍もの苦しみとなって潮を打ちのめす。

「三日月の夜」はその予兆に過ぎなかった。
潮のような少年だからこそ余計苦しむ、戦うことの意義すら失う。
作者は潮にどれだけ責苦を与えれば気が済むのだろう、と憤りすら感じるようなことばかりが、この後起こることになる。
(2013年12月3日の日記)
11月5日 獣群復活−2
ヒョウが遂に出会った仇敵紅煉。
歓喜の笑顔の恐ろしさ。

ヒョウは自身の恐怖と苦痛を過去に遡り、ギの幻、紅蓮の言葉、など様々な形で何度も体験する。
その中でもはや恐怖に慄くこともなく、幻とはいえ家族を殺すことも厭わず、笑顔で殺せる殺戮マシーンと化していた。
なんて残酷で悲しい。
うしおととらは、ヒョウの心を少しは変え得たが、ヒョウは最後まで1人で生きた。
その最後の時、ヒョウのそばにいたのは見知らぬ女とその子ども。
赤の他人を命を懸けて守り、満足して死んでいく。

そんなヒョウは、潮の優しさの底にある甘さを指摘するが、ヒョウのようになったら潮は潮でなくなるだろう。
それ以前に獣の槍に心を奪われるだろう。
獣の槍の持ち主は最初から潮に決まっていたが、もしもヒョウが選ばれていたら、と思うと心が震える。
獣の槍に心を乗っ取られた復讐鬼としてその生を生き抜いただろう。

後で外伝を読んだが、これらの短編は本編が終わってからまとめて出たのだろうか?
それとも連載の合間に出たのか、コミックだけの描き下ろしか?
ヒョウの過去も描かれているが、最終巻まで読んだ後だと、絵の迫があまりなく、かなり早い時期に描かれたのかと思ったが。

初期のヒョウはかっこ良さばかりがまさって、いまいち掴みどころがなかったが、潮ととらを陽の主役に据えるなら、陰の主役として称えたい。
それにしても潮ととらの存在は、ある者の心を癒し、ある者の心を苛む。
後に出て来る仲間の裏切りに度肝を抜かれたが、彼にヒョウの心を知って欲しかったと思う。
(2013年11月5日の日記)
10月7日 獣群復活−1
私が「うしおととら」を読み始めた時は、33巻まで続くことを知っていたし、永遠の名作と評価されていることを知っていた。
でももしもリアルタイムで読んでたら、あまりの勢いと迸る情熱に、この話は本当にまとまるんだろうか、完結するんだろうか、途中で 収拾つかなくなるんじゃないだろうかと心配でたまらなかったに違いない。
失礼ながら、コミックで読んでいても、行き当たりばったりというか、大風呂敷を好き勝手に広げて行っているように見えたくらいだから。

ところが今回26巻あたりからひとつひとつの伏線を丁寧に回収し始める。
ここでまたしても、心で土下座したくなった一編が「 獣群復活」。
ヒョウがかつてなぜとらを襲ったのか、過去に戻った時や、その後虎に会うたびに見せるヒョウの台詞や視線。
ヒョウは潮によって人間味を増していったが、関心はとらにあった。
その理由が今回明かされる。

とらはなぜとらなのか。
とらはかつて人間であり、後に字伏(とら)になった、その理由。
とらの仲間、敵、たくさんの字伏が登場する、その理由。
そして遂に登場したヒョウの仇、紅煉。

「紅蓮」ではなく「紅煉」、「煉獄」の「煉」は混ぜる、こね合せるという意味を持つ。
検索したら、桜色の羊羹で「紅煉」というのがあってちょっと笑った。
でも紅煉自体は黒い字伏なのだが、この名前はどこからつけたのだろう。
「元は促影という名の人間であった」ことが、ヒョウによって明かされる。

紅煉や突然現れた字伏たちに翻弄される潮ととらだが、彼らよりも紅煉、促影、ヒョウが強い印象を残す。
究極の恐「紅煉」、究極の「惨」「促影、そして究極の「怖」ヒョウ、紅蓮の過去に登場する斗和子らしき女も負けない存在感だが、これほどの残忍さを持つ存在を これほどまでに描いて見せる、そしてその過去を思い出させられてなお笑ってみせるヒョウ、その笑顔の怖さ。

この場面では、この3人があまりに突き抜けてて、むしろ気持ちいいほどのめり込んでしまった。
悪役もここまで徹底的に描かれるとむしろ好きになってしまうという典型的なタイプかも。
でもここ読んでるだけで、ヒョウのその後を思い出して泣きそうになるのだけれど。

それにしても、とらが今のビジュアルで良かったなあと思う。
他にもたくさん字伏が出て来るけど、他のが「とら」だったらちょっと困る(笑)。
そして紅煉がとらと同じくらいかっこいいからまた困る。

ただこの部分を読んでいると、ヒョウ初登場のとらを紅煉と勘違いして襲う人には見えないし、潮も嘘をついてまでヒョウにとらを殺させようとする少年ではないことに 改めて気づかされる。
あの部分はストーリーの組み立てとしてちょっと違うんじゃないかな。
潮とヒョウが人間として成長したからというものでもないだろう。

それにしてもやはりヒョウだ。
哀しく強く、そして恐ろしい。
(2013年10月7日の日記)
9月14日 記録者の独白
基本的に、作者自身が作品内に登場するのは好きではない。
本人としてではなく、作者を投影した人物として出て来るのであっても。
作者を意識した途端、現実に引き戻されるというか、これが作者によって書かれたものだということを思い出してしまうから。
もちろんドキュメンタリータッチの小説や体験談っぽく書かれた物はその限りではないが。

「記録者の独白」を読んだ時、この守矢という男と藤田さんが被って仕方がなかった。
盛り上がり過ぎて、うしおととらの戦いに自分も参加したくなった、勢いに任せて参戦したくなった、そんな調子の良さを感じたから。
後になって守矢にはうしおととらの戦いを全国に伝える役目があった、それゆえの登場だったことを知り、心の中で土下座した(笑)。
たしかに潮やとらがどんなにがんばっても、そのがんばりを伝える者がいなければ、日本はひとつにまとまらない。
見事な手法だと思った。

にもかかわらず、やはりこの短いエピソードでの守矢の描き方にはかなりプライベートな匂いがする。
それはともかく、この話には興味深いことが語られている。
潮ととらに関わった人たちが、徐々にその記憶をなくしていること。
でも彼らの話を聞いた守矢は忘れてはいない、直接関わってはいないからか。
では彼らに潮ととらのビデオを見せればどうだったのか、ちょっと惜しい。

このことは後々の事件の大きな伏線となるのだが、ネタバレ承知で書かせてもらえば、この時潮ととらを知るほとんど全ての者が一気に潮ととらに関する記憶をなくす。
逆に言うと、その時まで麻子や真由子、キリオといった人たちは潮ととらの記憶をなくしていないのだ。
家族や友達としての絆が深いからか、謎は多い。
(2013年9月14日の日記)
8月22日 業鬼
幻とはいえ、妻さえ娘さえ手にかける、ヒョウの業の深さが、たったこれだけの物語に全てこめられている。
後に外伝で事件の後のヒョウの過去が少しだけ描かれるが、とてもあんなものではなかったろう。
「業鬼」、今回出てくる妖の名前かと思っていたら、ヒョウのことだった。

潮はヒョウに己の甘さを指摘されるが、かといって潮はヒョウのようにはなれないだろうし、もちろんなって欲しくもない。
では潮は、どのような形でヒョウの問いに答えるのだろうか。
単なる少年熱血漫画の枠には収まらないスケールの大きさを期待したかったし、潮は実際答えてくれた。
それにしてもヒョウ、哀しい。

あの落ち着きぶりと歪んだ笑顔。
さらにとらと何か因縁がありそうなのも気になる。
以前のようなストレートな憎しみではなく、もっと複雑な何か。
とら自身には好意を持ちつつも、何か言いたげな視線。
その意味が明かされるのは、これもかなり後になってから。

ちなみにヒョウに殺された妖たちの名前は「暴」と「魏」。
九龍でも有名な兄弟で、日本に来たことを知った横浜の華僑からヒョウが退治を請け負ったのだという。
たまたま潮がそこにスケッチ旅行に行って相対してしまったのだが、潮にとっては自分の甘さを指摘される、厳しくも大切な試練となった。
(2013年8月22日の日記)
8月2日 あの眸は空を映していた
真由子来た!
癒し系の真由子が、とらなしで妖と戦う、友達のために。
しかもキリオと共闘する!
これには驚いた。

体も心も傷ついて去って行ったキリオ。
もう出てくることはないだろうと思っていたキリオ。
そのキリオが真由子と再会する。
これには本当に驚いた。

今回の話の元は「しっぺい太郎」。
「宇治拾遺物語」に元ネタがある有名な話で、私も知っていたが、「しっぺい」はなんとなく「疾病」だと思っていた(汗)。
他に思い当たる漢字もないし、病気がちなしっぺい太郎が「犬猿の仲」である猿の妖を倒す、あり得そうだし。
ところがこの「しっぺい」、「竹べら」という意味らしい、なぜに?

でも別名「早太郎」伝説のある長野県駒ヶ根市の光前寺によると、「疾風太郎」がなまった?変化した?したものかもしれないとのこと。
猿の妖(猿神とも)が出るのは静岡県磐田市見付になっているので、「うしおととら」でもそれに基づいて話を進めているようだ。
この時点では、今後キリオがどんな形で物語、潮や真由子に関わって行くのかわからなかったが、さすが藤田先生、やることなすこと全てが完璧にツボだった。

とらがこの真由子の強さは、彼女の特殊な力によるものではなく、生まれ持った性格だと看破していたが、さすがとら。
真由子の事をわかっている。
結果的に潮を失い、とらを失う真由子、その時そばにいてくれたのはキリオ。
そんな未来がすでに見えるような、素敵なエピソードだった。
(2013年8月2日の日記)
7月5日 TATARI BREAKER
せっかくおもしろく続いているのに、アメリカを巻き込んで、世界がぐっと広がった。
これで失敗する作品ってほんとに多い。
登場人物が増え、関係が複雑になり、と書く、描く方も大変だろうが、読む方も辛くなる。
けれど「うしおととら」は違った。

とにかく勢いで突き進む。
最後までその勢い、そしておもしろさを失わなかった。

今回は「麻子ととら」が大活躍の巻。
ただ麻子が精神面でも、アクション面でも凄すぎて、彼女が絡むとどこか現実感が薄まる気がする。
あっ、精神面での強さというのは今回じゃなく、後のエピソードなんだけど(いずれ書く予定)。
そこが今ひとつ私が麻子に感情移入できないところなのかも。

最初の頃の不器用な可愛さは好きだけど。
あと潮と2人だけの時に見せるさりげない優しさも好きだけど。

とらは妖の名前は気軽に呼ぶが、人間の名前はほとんど呼ばない。
言いにくいというより「犬夜叉」もそうだったが、妖が人間の名前を呼ぶということは、それだけ相手と深く関わり、心の奥底から理解しようとする、いわゆる「特別な存在」の時のように思う。
ぱっと思い出すのは、潮、紫暮、真由子、流だが、意外なことに麻子の名前は呼ばない。
名前は知っていたのに、とちょっと不満だった。
ここまで心を許して共闘しながら、麻子に距離を置く理由は何だろう。
麻子ととらの関係は、仲間いうより同志のような雰囲気がある。

アメリカの科学者たちがうしおととらの仲間になることは予想していたが、ここまで感動させてくれるとは。
そしてこの和解が最後にあのような形で描かれるとは。
やっぱり藤田先生は凄い。

余談だがバルちゃんことバルトアンデルス、藤田先生のオリジナルと思っていたら、Wikipediaにちゃんと「ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『幻獣辞典』に初めて登場する架空の生き物」とあった。
しかも「ぷよぷよ」や「ファイナルファンタジー」のゲームにも登場するらしい、笑った。
あと、厚沢さん再登場は嬉しかった、いい人過ぎるくらいいい人なだけに。
(2013年7月5日の日記)
6月11日 かがりととらおつかいに
タイトルがひらがな尽くしで可愛い(笑)。
それはもかく、最終決戦でもおかしくないような大迫力の戦闘後、ほのぼの系の「満月」があって、次はこう来るか!とおもしろ展開に吹き出した。
かがりが可愛い、可愛すぎる。
そして天然すぎる。

でもかがりって昔はもっと常識人っぽかったのに、話が進むにつれてどんどんおとぼけキャラになって来るな、可愛いからいいけど。
とらとかがりの珍道中?も良かったけど、気になったのがとらはかがりの想いを知ってるだろうかということ。
ああ見えて男女の機微に敏感なとらのこと、かがりの想いは百も承知と思っていたが、この話読むとそうは思えなくなってくる。

とらという「偉大な妖怪」の前で萎縮しているかがり、としか見ていない気がする。
だから初対面でとらの腕を切り落とした頃の覇気を取り戻して欲しいのだろう。
何よりもかがりは、鎌鼬兄弟はとらが認めた妖怪であり、仲間であるから。

最後に真由子はとらとお別れできたけど、かがりはそれすらできなかった、不憫だなあ。
でもこのエピソードは藤田先生からかがりへの最高のプレゼント。
良かったね、かがり。
それにしても鎌鼬兄弟が準レギュラーになってくれて本当に良かった。
まじめで優しい兄雷信共々大好きだから。

次回からは新たな敵との新たな戦いが始まる。
(2013年6月11日の日記)
5月17日 西の国・妖大戦ー3
最終決戦になってもなだれ込んでもおかしくない迫力だけどまだ23巻、一体「うしおととら」はどうなるんだと興奮しながら読み進めたあの日。
決戦後の「満月」にとことん癒された。
潮という少年の優しさ、とらの強さ。
彼らを知らない弱き者たちの胸にもすぐに飛び込んでくる。

でも潮、最後まで妖だと思われてて一匹扱いにされてたのはちょっと不憫。
まあ潮本人はそんなこと全然気にしてないだろうけど。
キジムンは藤田先生のオリジナルと思っていたら、ちゃんといたんだなあ。
Wikipediaで「キジムナー(キジムン)は、沖縄諸島周辺で伝承されてきた伝説上の生物、妖怪で、樹木(一般的にガジュマルの古木であることが多い)の精霊。 」とあった。
写真もあったけどとても可愛い(笑)。

さて高千穂空屋敷での死闘を制し、神野を追って脱出する潮たち。
けれども長老やかがり達は動くことができず、潮ととら、イズナだけになる。
一鬼や雷信の「私の名は雷信・・・雷(雷獣と言われたとらのこと)を信じております。」の台詞がめちゃくちゃかっこいい。

そして潮の母、須磨子も登場。
浅はかな神野の思い上がりを徹底的に楽しみ、叩き潰す白面の者の圧倒的な強さはむしろ爽快なほど。
本当に魅力的な悪役だ。

潮ととら、そして遅れてかけつけた長老たちは神野と西の妖たちを助け、共に撤退する。
さらに須磨子の作った最強の結界が再び白面の者を封じ込めたが、そのために四か月という期限が発生した。
途中理性を失うもジエメイに助けられた潮ととら。
どんなに強くても、獣の槍があっても今の潮ととらでは白面の者に勝てない。
ただ、最後になっても潮ととらは2人で戦うんだろうなあと語る2人が泣きたいほどかっこ良かった。

そして最後に2度目の人気投票結果も掲載。
私だったら1位とらで2位真由子、3位が潮で4位がかがり。
雷信、もっと前に前記の台詞あったらもっと順位上だったに違いないと思えるよ。
あとアリジゴクとかマドロスバーガーとか何これ?って爆笑物のキャラ?も登場、笑わせて頂きました。
(2013年5月17日の日記)

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